東京湾沿いの古社(旧東海道編) - 磐井神社

旧東海道の古社
磐井神社
(東京都大田区大森北2-20-8御鎮座)


少し余裕が出てきたので不定期ながら更新していきたいと思います♪
題して、東京湾の古社シリーズ。
第一回目は大森海岸沿いの社、磐井神社についてです。



この神社は敏達天皇二年(573年)創建という古社で、延喜式内社に比定されている。

また三代実録によれば、貞観元年(859)「武蔵国従五位下磐井神社官社に列す」とあり、当社を武州の八幡社の総社に定めたとあるらしい。

御祭神は、応神天皇・仲哀天皇・神功皇后・姫大神・大己貴命が祀られている。

丁度参拝時に、宮司さんがいらっしゃったので、御朱印と略記を頂いた。
よって、それを基に書き綴ろうと思いましたが・・・

旧文体なので、全くわからない!

ということで、小生が現代語に訳してみました。
間違いがあったら、ご指摘下さいませ^^;

祭神:
応神天皇(中央)
神功皇后・姫大神(右)
大己貴命・仲哀天皇(左)

人皇三十代敏達天皇二年(573)八月に創建。

磐井神社の名は、現在境外地にある『磐井』と呼ばれる井戸から由来している。
「祈願の時、この水を飲むに、祈るところ正しきものは、自ら清冷にして、邪なるものは忽ち転じて鹽味(しおあじ)となる」霊水、そして薬水という話が近国に伝播してその名を広めたという。


五十六代清和天皇の貞観元年(857)に、六十余州に於いて総社八幡宮を選定する際、武州に於いては当社を総社に定められ、官社に列せられたと、「三代貫録」にて書かれている。

尚万葉集に、「荒藺崎(あらいがさき)笠島」と詠まれているが、平安当時の当社所在地の名称である。

本殿

当社の御神宝は『鈴石』という石で、この神社の所在地一帯を「鈴の森」と称される由縁にもなっている。
この石は、神功皇后の三韓征伐の際、長門国豊浦の海で発見され、玉座近くに置いて奉った。
また御凱旋の日は、御産屋に置かれると、無事平安皇子(のちの応神天皇)が出産され、御在位中も繁昌のご神徳があることから、この石を「如意の寳珠(ほうじゅ)と御稱美あらせられし」といわれた。

その後聖武天皇の御代、石川朝臣年足が、宇佐宮に奉幣の時に神告に因りこの霊石を授けられた。そして年足の嫡孫中納言豊人卿は、神勅に因り当社に奉納したという。

卍の刻がされた石盤
石盤上部の窪みには何故か貝殻が置かれていた
永生年中に兵火に遭い、本社末社焼失。
その後再建するも、天文年中重ねて火事に遭い、古文書など悉く焼失してしまい、再修復できず、四基の鳥居は海中に倒朽し、宮地は潮波に損缺してしまう。

その後寛文年中、神主藤原善光・別当密厳院釋榮により社を再興する。

天正十八年徳川家康関東下向の際に参拝された。
その後元禄年間に三代将軍家光参詣し、その後当社を祈願所に申し付けるようになった。
さらに享保年間、八代将軍吉宗は伊奈半左衛門に本社拝殿末社を建立するよう命じた。

以下略
(磐井神社より頂いた御由緒~荏原風土記稿磐井神社由来より意訳)

磐井の井戸
これが、社名の由来となった磐井の井戸。
神社前を走る第一京浜の脇にひっそりと保存されている。

大田区文化財
磐井の井戸

当社社名の由来となったこの井戸、「磐井」と呼ばれる古井で、東海道往来の旅人に利用され、霊水又は、薬水と称されて古来有名である。
この位置はもと神社の境内であったが、国道の拡幅により、境域がせばめられたため、社前歩道上に遺存されることになった。
土地の人々は、この井戸水を飲むと、心正しければ清水、心邪ならば塩水、という伝説を昔から伝えている。

そして、境内右側には東海七福神のひとつ、笠嶋弁財天があったのだが、東日本大震災の影響により一部損壊、弁天池は立ち入り禁止となっていた。

なお、御由緒のとおり、この古社は万葉集にも詠まれていたとのこと。

東海七福神 笠嶋弁財天
延喜式巻第九
荏原郡二座 (並小)
磐井神社

万葉集第十二巻
草かけの、あら井の崎のかさしまを
見つつや、喜美のやまぢ越ゆらむ

草陰之荒藺之崎乃笠島乎
見乍可君之山道越良無

青々と葉が茂っていて立派なイチョウの木。
幹の太さといい、地方の社の御神木に負けない風貌をしております♪

次回は蒲田のお社です☆


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