東京湾沿いの古社(旧東海道編) - 六郷神社

旧東海道の古社
六郷神社
(東京都大田区東六郷3-10-18御鎮座)

 
今回は多摩川沿いにある六郷土手に程近い六郷神社です。

第一京浜から伸びる脇参道

第一京浜をテクテクと歩いていくと、建物に挟まれて鳥居と脇参道が伸びており、奥には広く開放感溢れる境内と立派な社殿が鎮座している。

六郷神社は江戸時代は「六郷八幡宮」と呼ばれていたらしく、『江戸名所図会』にも描かれている。
今は住居や町工場がひしめき合っている六郷地区だが、僅か300年程前は絵を見る限り、辺り一面が水田でポツンと一里塚とこのお社があっただけ、という何とも辺鄙(?)な場所だった。

創立については1057年(天喜五年)以前については不詳で、前回紹介した「式内社 稗田神社」の論社ともいわれているらしい。

神門と太鼓橋

梶原景時寄進と伝えられる石造りの太鼓橋です。

御祭神
誉陀和気命 (応神天皇)

一般に八幡様の御祭神は、応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)、 比売大神(ひめおおかみ)の三柱の神様で、 六郷神社でも昔はこの三神をお祀りしていた。

しかし、あるときの曳船祭で、一座の神輿が上総(かずさ)の国に流されてしまい、もう一座の神輿はことのほかの荒神で、しばしば祟りを受けたので土中に埋めてしまった、とのこと。

御由緒

社伝によれば天喜五年(1057)、源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の白旗かかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、当社の創建と伝えられています。

文治五年(1189)源頼朝もまた奥州平定のみぎり、祖先の吉例にならい、白旗を立てて、戦捷を祈願したので、建久二年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営しました。
現在、社宝となっている雌獅子頭と境内に残る浄水石は、このとき頼朝が奉献し、神門前の太鼓橋は、景時が寄進したものといわれております。

(旧)六郷橋の橋脚

天正十九年(1591)徳川家康は神領として十八石を寄進する朱印状を発給し、慶長五年(1600)には六郷大橋の竣功を祈って願文を奉り、また当社の神輿をもって渡初式を行ったと史書にみえます。当社が八幡宮の巴紋と合わせて葵紋を用いる由縁は、ここにあります。

江戸時代には、東海道をへだてた西側の宝珠院(御幡山建長寺)が別当寺でしたが、明治維新によち廃され、明治五年(1872)東京府郷社に列格し、明治九年より六郷神社と称して今日に至っております。
(六郷神社参拝のしおりより)

手水石

この手水石は伝承によると、源頼朝が寄進されたといわれている。

尚、本殿は享保四年(1719)建立の本殿を改修。
拝殿・幣殿・本殿もとても美しく剛健な雰囲気が漂っていた。

境内社

境内末社として、天祖神社(天照大御神)、氷川神社(素戔嗚尊)、三柱社(日本武尊・大物主命・布津主命)、稲荷社(宇迦御魂命)が祀られている。

そして六郷神社で有名なのは、やはり写真の狛犬。
大田区文化財に指定されている。

この狛犬は、貞享二年(1685)六郷中町の有志が願主となり、二世安楽を祈って奉納したものである。

大田区内に現存する最も古い狛犬で、石工は三右衛門。
昔は社殿前にあったが、現在は社務所前庭に置かれている。

作風は、一般の狛犬と異なり、きわめて素朴かつユーモラスで、芸術誌にとんだ形態を示し面白い。
たとえば、へこみが深い大きな目、へん平な鼻、髪の刻みは浅く、先端を巻き、胴はずんぐりとして、尾は小さく上向きに立つなど、興味深い作品と言えよう。
(以上、境内掲示板より)

何ともシュールな狛犬のあるお社に続いては、多摩川越えて川崎へ♪


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