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日光二荒山神社 中宮祠 (と、男体山登拝編)

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日光二荒山神社 中宮祠
(栃木県日光市中宮祠2484番地鎮座)
日光三社巡り(二荒山神社・瀧尾神社・本宮神社)に引き続き、
中禅寺湖畔に坐する二荒山神社 中宮祠へ。

路線バスで日光いろは坂を越えて、湖畔沿いの道をしばらくの間進み、バス停で降りると大きな銅鳥居。背後には御神体山である男体山が雄々しく構えている。

日光二荒山神社は海抜2486メートルの標高を誇る関東一の霊峰男体山(二荒山。黒髪山とも呼ばれる)を御神体山として、奈良時代の天応二年(782)に勝道上人により奉祀された。

下野国一之宮と崇められ、明治六年に國幣中社に列せられる。
御社は日光市内三か所に鎮座しており、男体山頂上に奥宮、日光市山内の東照宮西並びに御本社、男体山登拝口であり北岳南湖の景勝の地に中宮祠が鎮座する。

中宮祠は男体山中腹(海抜1130メートル)に鎮座し、本殿・拝殿は元禄十四年(1701)の建造物で、唐銅鳥居とともに重要文化財に指定されている。
本殿脇には朱塗りの登拝門があり、山頂奥宮の登拝口となっている。

下野国一之宮
二荒山神社中宮祠
この神社は二荒山神社の中宮で奥宮男体山頂上への登拝口に当ります。
御祭神は、御神徳の高い大己貴命、田心姫命、味耜高彦命の三神です。

御社殿、鳥居等は、重要文化財で境内地は、男体山、女峰山、太郎山等諸山を含み三千四百八十六米余で華厳の滝等の名瀑も境内に懸っております。
開山祭 五月五日
登拝大祭 八月一日から七日間
緒山登拝祭 九月中
閉山祭 十月二十五日
(境内案内板より)

実は、昨年にヒマラヤトレッキングの予行演習として男体山を登山しようと思い、早朝に出発しましたが、東武電車の事故やバスの遅れ等が重なり、本神社に到着したのが、午前11時過ぎ・・・。

山頂に鎮座する奥宮参拝は諦めて、筋トレがてら午後2時まで進める所まで登ってみることにした。

登拝門をくぐり、静まり返った参道を登拝します。
遥拝所、そして一合目までは参道がしっかりと整備されています。
ここが遥拝所。
一合目の鳥居を過ぎた後は、笹の生い茂る山道をひたすら登る。 眺望が望めない樹林帯の中を黙々と進む。
途中、アスファルトの道を横切り、3合目から再び山道へ。 少し登っていくと、紅葉が色付き始めていた。
この辺りから、ガレ場が多くなってきた・・・ しかし、残念ながらタイムアップにより下山。

裏日光三社巡り 瀧尾参道を歩く

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日光の聖地・瀧尾神社にて参拝した後、
女峰山から流れる稲荷川沿いを散策してみることにした。

瀧尾神社の川向こうにある社は、高徳水神社。

瀧尾高徳水神社
由来
この社は、奥吉野(奈良県吉野郡東吉野村)の水の宗社・丹生川上神社の御祭神 罔象水神の御分霊を祀り、天照大神の姉君として水に関する一切の御神徳を授けられた神であります。

石畳の杉並木道を進むと、ひときわ大きな巨岩が。
苔が生して、とても侘びを感じる。

手掛石
昔、滝尾神社の女神、田心姫命が、御手を書けた伝えられることから、「手掛石」と呼ばれている。
菅原道真えお祀った北野神社に詣でた帰りにこの石に手を掛けて祈願すると、字が上達するという信仰がある。

方角的に日光東照宮から見て鬼門(北東)に鎮座する磐座は北野神社。

北野神社
学問の神、菅原道真(天神さま)を祀る。
寛文元年(1661)筑紫安楽寺の鳥居信幽が勧請したものである。
鳥居や祠の奥の巨石に天満宮の梅鉢紋がみられる。

開山堂の堂内には、約4.5メートルの地蔵菩薩及び日光開祖・勝道上人とその十大弟子の木像が安置されている。

その開山堂の脇にひっそりと鎮座する祠は、「産の宮」と呼ばれるお社。
数多くの香車の駒が立ち並んでいた。


観音堂(産の宮)
この観音堂は、揚柳観音を祀ったものであり、別名「香車堂」「将棋っ駒」とも呼ばれる。
将棋の駒の香車が戻らずに直進する駒なので、妊婦がこの駒を借りて帰り、自宅の神棚に祀ると、無事安産できるという安産信仰の社でもある。


出産御は、借りた駒と共に新調した駒を一緒に返納するので、駒の数は増えるばかりである。
(境内案内板より)

安産堂の左脇には陰陽石と呼ばれる奇石。

陰陽石
お産に縁のある、自然石二つからなる奇石。
陰(女性)と陽(男性)を意味すると言われている。
観音堂を訪れた人は、ここでも安産を祈願する。

日光の東側には、外山。
ピラミッドの形状が印象的な、とても美しい神奈備が坐していた。

とかく「日光」というと、東照宮の煌びやかな社殿や日本有数の観光地というイメージが先行しがちだが、少し裏道に入ると、往古より受け継がれてきた自然信仰が色濃く残っていて、『神域』と呼ぶに相応しい地なのだな、と改めて感じた。

うーん、日光は奥が深い。

次回は中禅寺湖畔に坐する二荒山神社中宮祠と、男体山についてです。

日光三社巡り 瀧尾神社 (2) 自然信仰が濃く残る社

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瀧尾神社については以下リンクを⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/11/blog-post_10.html
瀧尾神社は日光三社権現のうちの一社で、かつての「日光」の中心地と言われた場所。 鬱蒼とした木々に囲まれた神社の境内を奥に進むと、とても興味深いモノが祀られていました。
本殿の奥に進むと、更に石鳥居、そして三本の杉が。
手前の石橋は無念橋と呼ばれている橋。
1676年に建立された橋のよう。


無念橋 (俗称願い橋)
延宝五年八月掛替
三本杉を通じて御神体山の「女峯山」を遥拝するため、自分の身を清め俗界と縁を切ることを意味する端であったが、いつの頃からか己の歳の歩数で渡ると女峯山頂奥宮まで健脚で登ったことになり、願が叶えられる、と言われるようになり「願い橋」と呼ばれる。

江戸時代までここは日光修験の中心地であったところから修験者(山伏)達の足腰の鍛錬のための修行が原因でこうした伝承が生まれたのであろう。

無念橋を渡った先には、紙垂で奉られた三本の杉。
樹齢こそ浅いが、とても丁重に扱われているように見える。
三本杉なのだから、男体山、女峰山、太郎山三山の神の拠り所なのであろう。

御神木
滝尾三本杉
古代より滝尾境内の最も神聖な処である以前の三本杉は右側は元禄十三年八月十五日(1699)、中央が延享四年八月二十七日(1747)にいずれも静かな夜半突然に倒れたと古書に記されている。
左側は寛延二年六月十二日(1749)夜半雨の中倒れたもので、手をつけずに、今もそのままである。
そのとき、改めて石玉垣を設け、現在に至る。
したがって、今の御神木は250~350年の樹齢である。

三本杉の脇にある泉が酒の泉と言われる清泉。

酒の泉
本宮の清水(昭和24年の今市地震で消失)、薬師の霊水とともに日光の三霊水のひとつ。
弘法大師が、この泉の水を汲んで神に捧げたといわれている。
この御供水には、酒の味があるといわれ、持ち帰って元水として酒を造ると、良酒ができるという。
醸造家の崇敬が篤く、古くから栃木県内の酒造家たちで酒泉講が結成され秋に祈醸祭、春に報醸祭が行われる。
現在は、西神苑の「二荒霊泉」で行われる。

御神山~女峰山から流れる清流の脇にいくと、またもや、鳥居が。
先を進んでみると巨石が祀られていた。

子種石
古くは、子種権現といわれた。

紅葉の奥日光 中禅寺湖~戦場ヶ原

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ちょっと閑話休題。 日光三社巡り&男体山登山のついでに、秋の奥日光を散策しました。
まずは中禅寺湖。 中禅寺湖は標高1500メートル近くにある湖ですが、 真冬でも凍りません。 理由は、男体山から吹き降ろしの北風が吹くので、 湖面が常に波立っているからだそうです。
湖面から飛び立つ鳥をパシャリ。
湖畔に佇む館。 レンガ造りの壁に絡んだ葉も紅く色付いております。
いざ、戦場ヶ原へ。 二荒山神社の御神山、男体山と女峰山(大真名子山)です。
この辺りは赤沼といい、戦場ヶ原の伝説に、 二荒神に加勢した小野猿丸が放った矢が、 赤城神大ムカデの眉間を貫き真っ赤な血を流しながら退散した際に 水が赤色に染まったのが由来だそうです。
戦場ヶ原から竜頭の滝まで散策します。 枯葉のじゅうたんを歩くのは、心地良いのですが、 雨露等で濡れていると滑りやすいのでご注意を。
湯の湖から流れる湯川。 清流が湿原の緑を潤しています。
とても緩やかな水流で、 せせらぎの音が小生の心を癒してくれます♪
川沿いを歩いていくと、一気に川幅が広くなり、渓流へと変貌します。 ここが名勝・竜頭の滝です。
ボク的には、日光三大瀑流(華厳の滝、湯滝)の中でこの滝が一番好き。 瀑音や迫力満点な水流など・・・とても男性的な滝に思えます。
すっかり色付いた紅葉と男体山。 今頃は雪に覆われ始めているのかな? とても、美しい散策でした☆
次回は、再び瀧尾神社です。

日光三社巡り 日光の聖地 瀧尾神社

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日光三社巡り
3.瀧尾神社
今回は、かつて「日光参りの中心地」であった瀧尾神社(瀧尾宮)へ。
二荒山神社脇のちょっとした山道を抜けていくと、女峰山を源流とする稲荷川の先に小高い丘があり、その丘全体が瀧尾宮の社域となっている。


瀧尾神社は本宮、新宮(現在の二荒山神社)とともに日光三社権現のひとつで、女峰山の女神、田心姫命を御祭神として祀っている。
なるほど、神社を位置的に見ると、女峰山、男体山、太郎山をミニマライズさせたように配置になっている。(ただし、日光白根山山頂から見ると、ですが)

別所跡 東照宮の遷座以前、日光参詣の中心はこの滝尾周辺であった。 日光責めで有名な輪王寺の「強飯式」(山伏が、大盛りの飯を残さず食べろと責める儀式)も、ここが発祥の地である。明治になって別所は廃絶。 永生六年(1509)日光に来た連歌師、宗長の紀行文「東路のつと」には、「ここより谷々を見下ろせば、院々僧坊およそ五百坊にも余りぬらん。」とあり、盛時の様子が偲ばれる。
参道から脇に入っていくと、立派な石祠の横に影向石と呼ばれている巨石が。

影向石
影向とは、神仏が仮の姿をとって、この世に現れること。
弘法大師(空海)が、弘仁十一年(820)この地に来て、奥の大岩のあたりで、神霊の降下を祈願したところ、美しい女神が現れたと伝えられている。

鬱蒼と木々が生い茂った緑深い石階段を昇っていく。
喧騒とした日光東照宮周辺からさほど離れていないにもかかわらず、とても静寂としている。
耳を澄ませば、御神山である女峰山から流れる清流の音。
とても趣き深い参道である。

石段を登った先には、「運試しの鳥居」と言われている石鳥居が。
ちなみに、私は一度も小石が穴に入りませんでした・・・。

運試しの鳥居
元禄九年(1696)に、三代将軍家光の忠臣、梶定良が奉納したもので、鳥居の額束(鳥居中央部分)の丸い穴に小石を三つ投げ、穴を通った数で運を試したという。
御影石、明神造り

運試しの鳥居の先にある楼門。
楼門 重層入母屋造・総漆塗 元禄十年(1697)に移転新築された。 それ以前は正面参道石段を登った附近にあり、おなじくらいの門であった。 江戸建築の重厚な建物である。
拝殿
正徳三年(1723)建立。
古く楼門が参道南方にあった時代には、現在の倍の大きさがあって、側面は谷下まであり、清水の舞台式い高床が作られてい…