宮城の社 明神大社 鼻節神社 (宮城県七ヶ浜町)

2011年宮城祈念の旅
鼻節神社
(宮城県宮城郡七ヶ浜町花淵浜字誰道1御鎮座)




陸奥國一宮・鹽竈神社と同一神である岐神を祀り、延喜式神名帳で明神大社に比定されていた鼻節神社。

三角形の扁額がとても珍しい。

鼻節神社は七ヶ浜半島の東端にある垂水山(誰道が訛った?)の山頂に鎮座するお社。
現在の参拝ルートはすぐ奥にある二の鳥居を左折すると裏参道となっていて、丘を下らず参拝できるが、折角なので本参道から入場することにした。

本参道
参道・・・といっても、鬱蒼とした林道の中を進む。

石鳥居
そして丘を半周して南側に立ったところで、石鳥居が。
すぐ先に海が面しているにもかかわらず、この鳥居はどうやら無事だった模様。

この辺で御由緒を。

鼻節神社

鼻節神社は第六代孝安天皇の御代(前392~前291)に、岐神(ふなどかみ)として猿田彦命を花渕浜吼防ヶ崎に勧請して、神社を創建したと伝えられている。

都より神宮が下向して祓い清めたという記録があり往時の鼻節神社が霊験あらたかで朝廷の尊信を受け、民間の信仰を篤かったと思われる。
(駐車場掲示板より)

御祭神 猿田彦命
例祭日 旧九月二十八日

本社創紀の年代は古書によると第三十四代舒明天皇二年(630)といわれ、第六〇代醍醐天皇の延喜五年(905)に全国の神社を調査せしめた延喜式内神明帳には、当時陸奥国にある壱百座を大まかに分け大社十五社小社八十五社とし本社は明神大社に列せられている。

本殿

後に鎌倉時代陸奥国府(多賀城)の主厨であつたといわれる花渕浜の館主花渕氏累代の崇敬篤く、社殿の造営、祭事が相次ぎ社敷場や地名に残る祭田、神田、社領の遺名であるその盛大さを偲ばせます。
(鳥居に刻まれていた案内より)
八幡社
鼻節神社が鎮座されている垂水山は、松島湾の西端に存在しており、塩竈湾へ入港する際の目印となり、さらに奥州平定における拠点であった多賀城を防衛する要衝だったと思う。
それは東国三社における息栖神社のような役割だったのか?

ちなみに旧社地は保ヶ崎(現社地の南側)に鎮座していたが、度重なる暴風雨による損壊により、宝亀元年(770年)に現社地に遷座したという。

大根神社
二つの小さな祠は大根(おおね)神社といい、花渕崎の東沖7kmの岩礁に鎮座していた神社で、鼻節神社の奥の院もまた、その地にあったといわれている。
東宮は松島湾の東側、西側は上記箇所に鎮座していたといわれ、恐らく鼻節神社は大根神社の里宮的存在だったのでは?と思う。

尚、大根神社は869年に発生した貞観地震で津波・地盤沈下により水没したため、旧社地から現社地に遷座したという。

現在でも花渕崎にて生きたアワビを神饌する大根明神祭が行われている。

由来を要約すると・・・
漁師船が大根神の上を通過したら、船底に穴が開いてしまい沈没しかけた。  
漁師が鼻節の神さまにお祈りしたところ、アワビが船底の穴を塞いでくれた。
それから、漁師達は大根の神の地にアワビを神饌するようになった。

詳細は⇒七ヶ浜町ホームページ(しちがはま祭事記)を参照

ちなみに鼻節神社は、萌え系アニメ「かんなぎ」のモデル地らしく、多くの『巡礼客』が訪れていたという。(参拝後HP検索で初めて知った)

今回の震災で七ヶ浜町全体が壊滅的被害を受け、さらに神社社殿にも損壊があったので、自発的に寄付金を募ったり、継続的にボランティアをしているらしいです。


次回は、三陸・雄勝町の式内社です。


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