2011年宮城祈念の旅
鼻節神社
(宮城県宮城郡七ヶ浜町花淵浜字誰道1御鎮座)
2011年12月、震災前に計画していた東北地方のお社巡りを敢行した。
「何かやり残した思い」が師走に入って少しづつ芽生え始めてきて、やがてそれが「3.11から逃げずに、直視せねばいけない」と、強迫観念のように感情が変化し、衝動的に仙台行の深夜バスのチケットを押え出発したのは12月下旬。
いい加減この性分を直さなくては、と我ながら呆れかえる。
| 扁額 |
三角形の扁額がとても珍しい。
| 社頭 |
現在の参拝ルートはすぐ奥にある二の鳥居を左折すると裏参道となっていて、丘を下らず参拝できるが、折角なので本参道から入場することにした。
| 本参道 |
| 石鳥居 |
すぐ先に海が面しているにもかかわらず、この鳥居はどうやら無事だった模様。
この辺で御由緒を。
鼻節神社
鼻節神社は第六代孝安天皇の御代(前392~前291)に、岐神(ふなどかみ)として猿田彦命を花渕浜吼防ヶ崎に勧請して、神社を創建したと伝えられている。
都より神宮が下向して祓い清めたという記録があり往時の鼻節神社が霊験あらたかで朝廷の尊信を受け、民間の信仰を篤かったと思われる。
(駐車場掲示板より)
| 社殿 |
例祭日 旧九月二十八日
本社創紀の年代は古書によると第三十四代舒明天皇二年(630)といわれ、第六〇代醍醐天皇の延喜五年(905)に全国の神社を調査せしめた延喜式内神明帳には、当時陸奥国にある壱百座を大まかに分け大社十五社小社八十五社とし本社は明神大社に列せられている。
| 本殿 |
(鳥居に刻まれていた案内より)
| 境内社 八幡社 |
それは東国三社における息栖神社のような役割だったのか?
ちなみに旧社地は保ヶ崎(現社地の南側)に鎮座していたが、度重なる暴風雨による損壊により、宝亀元年(770年)に現社地に遷座したという。
| 大根神社 |
東宮は松島湾の東側、西側は上記箇所に鎮座していたといわれ、恐らく鼻節神社は大根神社の里宮的存在だったのでは?と思う。
尚、大根神社は869年に発生した貞観地震で津波・地盤沈下により水没したため、旧社地から現社地に遷座したという。
現在でも花渕崎にて生きたアワビを神饌する大根明神祭が行われている。
由来を要約すると・・・
漁師船が大根神の上を通過したら、船底に穴が開いてしまい沈没しかけた。
漁師が鼻節の神さまにお祈りしたところ、アワビが船底の穴を塞いでくれた。
それから、漁師達は大根の神の地にアワビを神饌するようになった。
詳細は⇒七ヶ浜町ホームページ(しちがはま祭事記)を参照
| 御神馬 |
裏参道(現参道)には、御神馬が祀られていた。
| 左: 山神社 右: 稲荷社 |
| 境内より荒ぶる海を眺める |
今回の震災で七ヶ浜町全体が壊滅的被害を受け、さらに神社社殿にも損壊があったので、自発的に寄付金を募ったり、継続的にボランティアをしているらしいです。
次回は、三陸・雄勝町の式内社です。
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