19 January 2012

宮城の社 石神社 (と、震災ガレキについて思うこと)

Location Japan, 県道238号線
2011年宮城祈念の旅
石神社
(宮城県石巻市雄勝町大浜字石峰大久保山1鎮座)

鼻節神社の鎮座地である七ヶ浜町の惨状を目前に、茫然自失となってしまった。
至る所で高さ数十mに積み上げられた「ガレキ」の堤、そこから発する鼻を抓みたくなるような悪臭、家の門しか残っていない住宅街、今だに田畑に放置されたまま転がっている主のいない乗用車等々・・・。

その後、陸奥國一宮・塩竈神社及び周辺社を参拝したが、七ヶ浜での想像を絶する光景に強いショックを受けてしまい、『心此処に非ず』となってしまった。
よって、塩竈神社・志波彦神社については次回再訪した際に・・・。

何とか平静を取り戻して、向かうは三陸海岸の石峰山という里山。

北上川
雄大な北上川を河口に向かって走る。
この流域も津波が川を遡上したせいで被災していた。

葉山神社(石神社里宮)
さて、リアス式海岸の起伏激しい道を抜けて、山神社の里宮である葉山神社へ。
元来石峰権現社の別当寺として祭られた薬師堂で、鎌倉末期の創祀と伝えられている。
尚、朱色の小さな鳥居にあるお社は祖王神社という雄勝町の祖神の社。

津波で変形した手すり
鳥居をくぐると、アルミ製の手すりが津波によって大きく変形していた。
更に海抜10メートル程の高台に鎮座していた社殿も悉く全壊していた。
荒ぶる自然の強大な力に対して何もすることができないのだなと、とにかく胸が痛む。

石神社一鳥居
痛ましいお姿になられてしまった社殿を横切り登っていくと、石神社の鳥居。
どうやら神職さんの住居等は被害に遭われなかったようだ。

ここから石峰山の頂を目指す。(といっても標高352mの低山だが)
石神社は、山岳修験者の霊場として古より守り伝えられてきた厳かな霊気のなか石峰山山頂に鎮め奉られている。
また、延喜式神名帳にて式内社に比定されている由緒ある古社である。

愛宕神社
登山道も震災の影響で足場は悪くなっており、土砂崩れも発生していたのか、木々があちこちに散乱していた。
写真は、道中祀られていた愛宕山の遥拝所。

空洞岩
山道は落葉に隠れてしまっていて、何処を歩いているのか分からなくなっていたが、ケータイに内蔵されている方位計で確認しながら登った。

道中にあった空洞岩。
岩に小さな穴が開いており、『この穴に結願成就を願って参拝する人達がおり、小銭をのせて願い事を唱える祈願の岩』とのこと。(社務所看板より)

石神社二の鳥居
登ること約40分で到着。
朱鳥居の先に御神体である磐座のお姿を拝むことができる。

(由緒)
御祭神: 端津姫命
石(いその)神社は石峰山(352m)の大岩を御神体とし、樹齢六百年の大杉の古木が数本ある。
社伝によれば、およそ1800年前(神功皇后の時代)の創祀とされ、御祭神は交通の安全を守る海の女神である宗像三女神の端津姫命(たぎつひめのみこと)を祀り、海上交通の発展により金華山と共に南三陸の漁場を守護し漁師や養殖業者に信仰されてきた。

往古は石峰権現社と称し、仁寿二年(852)国より従五位下を贈ったと、三代実録(文徳実録)に記されている。

御神石
アンバランスで奇形な姿(それはまるで金精様のような風貌)にもかかわらず、何事もなかったように雄々と鎮座している磐座。
この霊なる巨石を見て、自然に対し畏敬の念を感じずにはいられなかった。

石峰山頂
折角だから頂上まで登ってみた。
山頂からは北側の名振湾が一望できる。

共生した巌
山頂に鎮座していた磐座。
一本の木が巨岩を跨いで根を降ろして「共生」している。

世界一悲しい伝言
さて、雄勝町もまた、震災と津波により町が壊滅といってよい程の被害を被っている。
また此処に限らず、三陸沖の町は近似した被害となっている。

雄勝町のガレキの堤
このような『堤』は東北中の被災地の至る所にある
「震災のガレキ」と言葉はキレイだが、実際は悪臭を放つ産業廃棄物である。
この廃棄物は焼却設備でなくては処分できないものであるし、野焼きなんて到底出来る代物ではない。

また、山積された産業廃棄物から浸み出した有害物質は、地下水を通じて太平洋岸に流れていく。そして海産物や農作物を経由して放射性物質とともに人体に入る。

その有害物質は、もしかしたら放射性物質より明らかに直近に人体に被害を起こす物質かもしれない。出所が分からないからだ。
そういう検証すらしないで、遮眼帯(ブリンカー)をつけた馬の如く、盲目的に「ホウシャノウに汚染された東北のガレキを受け入れるな!」というのは、とても狭心的な思考であると思う。

(少なくともガレキ焼却のリスクより、有害金属が沈着した黄砂の方がよほど身体的リスクが高いのでは?と思う)

更に言うならば、この地区~岩手三陸で起きた震災産廃物のシェア(共有)を、『放射性物質の拡散』を理由に拒絶するのならば、福島原発とほぼ同距離の横浜市で立替目的で壊した住居の産廃物も「除染」が必要だから拒否すべきだろう。(宮古~原発と横浜~原発は直線距離は同じ約250㎞)

そして、何より僕が最も危惧している点。

それは数百年後の子孫に対し、産廃の堆積された層を押し付けてしまうこと。

『21世紀の人猿は、土に分解されない廃棄物を
平気で野積にする習性がある』

と、堆積層を発見した子孫達は先祖である僕たちの事を嘲笑することであろう。
(それは使用済み核燃料についても同様。)

とにかく、東北=放射能汚染地域
と、一括りにくれぐれも思わないで欲しい、と思う(自戒の意味を込めて)。

ここは中学校跡だったのだろう
力強いメッセージに心打たれる
と、長くなってしまったが、少しづつ復興に向けて整備されているのも事実。
津波が押し寄せた北上川の河口では護岸工事が完了しているし、橋も新たに架けられていた。
このようなインフラ再構築が迅速に出来るのは、世界中で日本だけだと本気で思う。

また、雄勝町は白鳥の飛来地で、廃れてしまった田畑に多くの白鳥の群れが戻ってきていた。
白鳥同様、一日も早く被災地に人々が戻ることができるような環境になるよう心から祈る。


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