宮城の社 石神社 (石巻市雄勝町)

2011年宮城祈念の旅
石神社
(宮城県石巻市雄勝町大浜字石峰大久保山1鎮座)

鼻節神社の鎮座地である七ヶ浜町の惨状を目前に、茫然自失となってしまった。
至る所で高さ数十mに積み上げられた「ガレキ」の堤、そこから発する鼻を抓みたくなるような悪臭、家の門しか残っていない住宅街、今だに田畑に放置されたまま転がっている主のいない乗用車等々・・・。

その後、陸奥國一宮・塩竈神社及び周辺社を参拝したが、七ヶ浜での想像を絶する光景に強いショックを受けてしまい、『心此処に非ず』となってしまった。

何とか平静を取り戻して、向かうは三陸海岸の石峰山という里山。

北上川
雄大な北上川を河口に向かって走る。
この流域も津波が川を遡上したせいで被災していた。

葉山神社(石神社里宮)
さて、リアス式海岸の起伏激しい道を抜けて、山神社の里宮である葉山神社へ。
元来石峰権現社の別当寺として祭られた薬師堂で、鎌倉末期の創祀と伝えられている。
尚、朱色の小さな鳥居にあるお社は祖王神社という雄勝町の祖神の社。

津波で変形した手すり
鳥居をくぐると、アルミ製の手すりが津波によって大きく変形していた。
更に海抜10メートル程の高台に鎮座していた社殿も悉く全壊していた。
荒ぶる自然の強大な力に対して何もすることができないのだなと、とにかく胸が痛む。

石神社一鳥居
痛ましいお姿になられてしまった社殿を横切り登っていくと、石神社の鳥居。
どうやら神職さんの住居等は被害に遭われなかったようだ。

ここから石峰山の頂を目指す。(といっても標高352mの低山だが)
石神社は、山岳修験者の霊場として古より守り伝えられてきた厳かな霊気のなか石峰山山頂に鎮め奉られている。
また、延喜式神名帳にて式内社に比定されている由緒ある古社である。

愛宕神社
登山道も震災の影響で足場は悪くなっており、土砂崩れも発生していたのか、木々があちこちに散乱していた。
写真は、道中祀られていた愛宕山の遥拝所。

空洞岩
山道は落葉に隠れてしまっていて、何処を歩いているのか分からなくなっていたが、ケータイに内蔵されている方位計で確認しながら登った。

道中にあった空洞岩。
岩に小さな穴が開いており、『この穴に結願成就を願って参拝する人達がおり、小銭をのせて願い事を唱える祈願の岩』とのこと。(社務所看板より)

石神社二の鳥居
登ること約40分で到着。
朱鳥居の先に御神体である磐座のお姿を拝むことができる。

(由緒)
御祭神: 端津姫命
石(いその)神社は石峰山(352m)の大岩を御神体とし、樹齢六百年の大杉の古木が数本ある。
社伝によれば、およそ1800年前(神功皇后の時代)の創祀とされ、御祭神は交通の安全を守る海の女神である宗像三女神の端津姫命(たぎつひめのみこと)を祀り、海上交通の発展により金華山と共に南三陸の漁場を守護し漁師や養殖業者に信仰されてきた。

往古は石峰権現社と称し、仁寿二年(852)国より従五位下を贈ったと、三代実録(文徳実録)に記されている。

御神石
アンバランスで奇形な姿(それはまるで金精様のような風貌)にもかかわらず、何事もなかったように雄々と鎮座している磐座。
この霊なる巨石を見て、自然に対し畏敬の念を感じずにはいられなかった。

石峰山頂
折角だから頂上まで登ってみた。
山頂からは北側の名振湾が一望できる。

共生した巌
山頂に鎮座していた磐座。
一本の木が巨岩を跨いで根を降ろして「共生」している。

雄勝町は白鳥の飛来地で、廃れてしまった田畑に多くの白鳥の群れが戻ってきていた。
白鳥同様、一日も早く被災地に人々が戻ることができるような環境になるよう心から祈る。


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