宮城の社 鹿島御児神社 (石巻市日和山)

2011年東北祈念の巡礼
鹿島御児神社
(宮城県石巻市日和が丘2-1-10鎮座)

鹿島・香取神宮から福島浜通り~東北地方にかけて、『鹿島』神社が数多く点在している。
又、延喜式神名帳においても陸奥國に8社もの鹿島社が式内社に比定されている。

黒川郡 鹿島天足和気神社 
亘理郡 鹿嶋伊都乃比氣神社、鹿嶋緒名太神社、鹿嶋天足和氣神社 
信夫郡 鹿嶋神社 
磐城郡 鹿嶋神社 
行方郡 鹿嶋御子神社
牡鹿郡 鹿嶋御児神社 

通説だと、鹿島社は大和政府による蝦夷征伐の拠点で、いわゆる交通や防衛の要衝に設置されており、前線基地であったといわれている。そして、石巻の日和山にある式内社・鹿島御児神社も、石巻港を一望でき、旧北上川沿いの丘の頂という好立地な場所に鎮座している。

社殿
鹿島御児神社
御祭神:
武甕槌命(たけみかづちのみこと)
鹿島天足別命(かしまあまたりわけのみこと)

鹿島御児神社の御由緒は古く、その創建の由来縁起についてはこれを明らかにする史料はありませんが、平安時代の「延喜式神名帳」には既にその名が見られ、国史現在社として最も由緒深い神社です。

(中央)愛宕神社・(左)八幡社・稲荷社
御祭神は武甕槌命、鹿島天足別命の親子二神で、武甕槌命は天孫降臨に際し、葦原中つ國の平定に御功績を挙げられた神であり、また、その御子神である鹿島天足別命は香取神宮祖神の御子神と共に命を受けて海路奥州へ下向し東夷の征伐と辺土開拓の経営にあたることとなりました。

その乗船がたまたま石巻の沿岸に到着碇泊して錨を操作した際、石を巻き上げたことから、石巻という地名の発祥をみたのだとの言い伝えがあります。

天満宮
石巻に上陸された両御子は先住蛮族地帯であった奥州に於ける最初の史跡を印した大和民族の大先達であり、開拓の先駆者として偉大な勲績を残された地方開拓の祖神です。

古くより使藩主等の尊崇も厚く、社領・宝物の寄進、社殿の修築等がなされてきました。
明治七年には旧村社に列し、大正十年に旧郷社に列格。昭和十年には旧県社に列格しました。

(以上、参拝のしおりより)

境内
日和山から旧北上川を挟んで北東の位置に牧山という山があり、零羊崎神社という明神大社が鎮座している。
ここ鹿島御児神社は開発と戦いの神を祀り、零羊崎神社は海に由来する神を祀っている。

鳥居から被災した町を見ることが出来る
さて、牧山から日和山の麓一帯は、松尾芭蕉・奥の細道などで『尾駮(おぶち)の牧』といわれていたらしい。
「おぶち」で連想するのは「お渕」のようであり、牧山には龍神についての神話もあることなどから(一般的に龍は、そのくねった容姿から水に由来する神といわれている)往古より川の氾濫や津波などの水害に悩まされていた地域だったのであろう。

そういった先人の教えを無視して、大規模な開発をしてきて「自然を畏れる」ことを忘れてしまった現代人の慢心も、大規模な被害を引き起こしてしてしまった要因のひとつであると思う。

麓は壊滅的被害を受けたが、
少しづつ復興しはじめている
古社と言われるお社や古くから名勝(松島や塩竈、多賀城など)といわれる場所は津波といった自然災害に対して被害が比較的軽微だったように思う。

住める地・住めない地のサインを残してくれた先人達の教えは素直に受け止めなくてはならない、と改めて自戒。


次回は、鹿島御児神社の北東(鬼門)の方向に鎮座する社についてです。

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