27 January 2012

宮城の社 鹿島天足別神社、と傾いた亀石

Location Japan, Miyagi Prefecture, Kurokawa District, Tomiya, Ogame, Wagodaniban16
2011年宮城祈念の旅
鹿島天足別神社
(宮城県黒川郡富谷町大亀字和合田2-81-2鎮座)


前々回鹿島御児神社について記したが、今回は少し山間に鎮座している鹿島天足別神社について。
ここの神社は大亀山の山頂にあり、亀石と呼ばれている巨石が鎮座されている。

大亀山一帯は自然公園となっているが、震災の影響なのか多くの施設は立ち入り禁止になっていた。
被害はここ鹿島天足別神社も同様。
石鳥居は総本宮・鹿嶋神宮同様に倒壊していた。

参道
鹿島天足別神社(かしまあまたりわけ)
この神社は延喜式内社で、陸奥國百座の内の一社で、常陸國の鹿島の神、武甕槌命、下総國の香取の神、経津主命を祀っている。
この二柱の神は武勇をもって知られ、蝦夷征伐に出兵した人々の武運長久や旅の安全、さらに東国からきた兵士や、農民の守護神として、尊敬を集め祀られた神社で、勧請年月日は不明である。

この神社の傍らに亀の形に似た大石があり、里人は大亀と呼び大明神の地にあるので、神社名(大亀明神)となり、さらに村名(大亀)となったといわれる。
(境内案内板より)

拝殿
手前の狛犬も損壊していた
さて、東北地方にある鹿島社についてだが、茨城・鹿嶋神宮から浜通り一帯、そして宮城一帯にかけて多くの鹿島社が鎮座している。

「三代実録」の貞観八年(866年)正月二十日の条には、鹿島大神の苗裔神(御子神)が陸奥國に三十八社あると記されており、その内今日の福島県に属するものが22社、残りは宮城県に含まれている。
福島県ではみな浜街道(浜通り)沿いにあり、阿武隈河口にある亘理郡から海沿いの牡鹿郡、他方は黒川・色麻などの内陸の諸郡へと別れて進んでいる。

扁額
鹿島の神の北上が蝦夷の討伐に大きな役割を果たしていたことはいうまでもなく、ヤマト政府は武力平定のためには、大量の武装移民を送り込む一方、天津神を祀る神社を利用した。
(谷川健一著 日本の神々より)

それはつまり、蝦夷に対する教化が目的だった。
蝦夷が祀っていたアミニズム信仰の聖地であった神奈備(御神山)や磐座(巨石)を占領して、ヤマト王権の祀る神を祀り、ヤマト政府の「権威」を見せしめ、ヤマト文化の「教化」を図っていったのであろう。

奉納されていた髭の面
そして、東北の鹿島社には鹿島大神とともに御子神が合祀されている場合が多い。
それはもしかしたら原住民に懐柔させる目的で、蝦夷の信仰が篤かった神を合祀したものかもしれない。

このような政策はこの地に限らず、日本統治時代に台湾のタイヤル族をはじめとしたミクロネシア系原住民族に対しても同様の政策を取っていった。

足場が完全に崩れた本殿
また、阿武隈川河口がある亘理郡から海沿いの牡鹿郡と内陸に分岐していったのは、今の岩手を南北に流れる北上川の河口にあった石巻を蝦夷に対する防衛の地とし、ここ黒川は出羽国(山形・秋田)へ北征する交通の要衝であり、前線基地だったからなのであろう。

多賀城~黒川・色麻~山形・酒田まで通る国道47号線(最上街道)がそれを物語る。

亀石
地震の影響で岩が斜めに傾いた
さて、ここ鹿島天足別神社の境内も震災の被害が生じていた。
石鳥居は損壊し、本殿の土台が崩れ、御神石の亀石も斜めに傾いてしまった。
(他の方々のこの社のHP等を参照してみてください)

大地に踏ん張って必死に耐えている御神石
それはこの社だけでなく、総本宮である鹿島神宮をはじめとした天津神を祀る鹿島社全体に及んでいるように思える。

まるで御祭神の武甕槌命が身代わりとなって、必死に日本を護っているかのように。

危うい支柱で支えられている拝殿
今まで東北の社については蝦夷侵略の基地であり、蝦夷へのヤマト文化の強制というような否定的なイメージしか抱いていなかったが、今回の巡礼を通じて『鹿島の社』とは国体保持の要なのかな?と、感じてしまった。

そして社に隠された北方民族のアミニズム信仰対象や地名に残されたメッセージ等々・・・
妄想を膨らませば膨らます程、深遠な世界が拡がってくる。

・・・雪道運転が苦手だから、春以降に再訪してみよう(苦笑)


次回は『麻』の社です。

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