宮城の社 陸奥総社宮

東北祈念の旅
陸奥総社宮
(宮城県多賀城市市川奏社1鎮座)

『総社』とは、国(旧律令国)の中心地であった国府の近くに作られた神社のことで、かつて国の長であった国司はその国内にある神社を参詣することが習わしだったが、利便性を高めるために国内の神社を分祀・合祀した神社を設けたのが始まりといわれる。

社頭
例えば東京都府中市に鎮座する大国魂神社は武蔵国の総社であり、相模国では六所神社が相模国総社である。←リンク参照
因みに741年(天平十三年)に聖武天皇の勅命により、各国府に建立された国分寺・国分尼寺と違い、総社に関しては諸説あり、国内の総社だけでなく、郡・町単位での総社もある。

境内
陸奥総社宮は陸奥国府の北東(鬼門)の位置に鎮座するお社で、現在は陸奥国の延喜式内社100社が御祭神である。
総社宮の地には、かつて伊弉諾尊(イザナギ)、伊弉冉尊(イザナミ)の二神が勧請された多賀社が建立されていたといい、多賀城鎮護と陸奥国の鎮めである鹽竈神社にたいする執奏社の性格をもっていたという。
その後、平安時代中期の総社制により、現在の陸奥総社宮へと変貌していったという。

絵馬と扁額
御祭神
八塩道老翁神、奈名塩老翁神、金山彦神、奥津彦神、若狭彦神、八塩道老女神、奈名塩老女神、金山姫神、奥津姫神、若狭姫神、伊邪那岐神、大日霊神、猿田彦神、大国主神、事代主神、伊邪那美神、天照皇大神、大年神、保食神、応神天皇、アラハバキノ大神威、高龍神、闇龍神、ツボケノ大神威等陸奥国一百座の神々

本殿
御由緒
多賀城政庁東門跡地と加瀬沼との間に鬱蒼とした木立に囲まれて陸奥総社宮が鎮座されています。入口階段両側に数多くの神社名が列記されていますのが目立ちます。

神社の創立は今から1千年余りにさかのぼります。
神亀元年(724)多賀城に国府が創建されてから177年跡は醍醐天皇の御代で年号は「延喜」でした。律令政治の基本となる「延喜式」の編纂が始った頃です。

御神木の杉
醍醐天皇の勅命で日本全国の由緒正しい神社を選別して「神名帳」に記載し「延喜式内社」と称しました。

その数は3,122社、うち188社を大社、その他を小社に分別しましたが、参拝に不便なため、各国府毎に多くの祭神を1か所に合祀勧請しました。これが総社宮と称せられます。

境内社
陸奥総社宮は陸奥國31郡の100社(大社15、小社85の祭神)が合祀されて奉り、国土鎮護の神として、多賀城国府とともに東北の政治・文化・軍事の中心的役割を果たしてきた由緒深き神社です。

多賀城国府は平安末期の10世紀後半で廃絶しましたが、陸奥総社宮は1716年(享保19年)に改築され、心願成就の神として歴代伊達藩主を始め世間一般から篤い信仰が続き現在に至っています。


神殿横には樹齢600年余の老杉と220年余の老白木蓮が対になっています。古人は長寿で仲の良い夫婦にみたて、家族円満の神樹として『老杉に白木蓮の花化粧』と愛され、読まれ、語りつがれてきました。

拝殿にある「疣(いぼ)取り神箸」と「安産枕」は今でも効果てきめんとか。
(以上、陸奥総社宮縁起より)

拝殿
次回はアラハバキの社です。

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