宮城の社 荒脛巾神社

2011年東北祈念の旅 
荒脛巾神社
(宮城県多賀城市市川字奏社鎮座)

石碑
今回は特に関東以北の末社等にて祀られている荒脛巾(アラハバキ)神社へ。

御祭神アラハバキ神については・・・
記しているのでご参照の程を。


宮城県多賀城市の荒脛巾社は
鹽竈神社の境外末社のひとつとされており、
陸奥総社宮から徒歩数分の場所に鎮座している。

石碑の脇道を通ってみると、
タイムスリップをしたかのような長閑な風景が広がっている。

鳥居
細い小路をテクテク歩いていくと朱色の鳥居を発見。
中に入ってみると、民家の敷地内に三つの祠が並んで鎮座していた。

荒脛巾神社
右奥には二荒神社や鳥居の石碑が建っていた
荒脛巾神社
多賀城市市川に鎮座する荒脛巾神社は、足の神様として知られており、旅の安全を祈願する人々によって篤く信仰されました。
建立年月日は不明ですが、安永三年(1774)に作成された市川村の風土記には、塩竈神社の末社のひとつとして記載されており、仙台藩主伊達氏も社領を寄進して保護していました。

扁額

社名にある脛巾(はばき)とは、旅に出るときに脛に巻き付ける布のことであり、かつては祈願成就の際に奉納された脛巾が多数納められていました。
現在は足に限らず、腰から下の病気にも効き目があるとして、性病や婦人病に悩む人々の信仰も集めています。

社殿の左手には太子堂、右手には養蚕神社があり、病の根を切るという信仰から鋏(はさみ)が多数奉納されています。
(以上、境内案内板より)


こちらは道祖神と書かれた明治三十二年に奉納された額

荒脛巾社は一般的に道祖神(賽の神)的意味合いが強く、
外敵からの守り神として城の門前に祀られていた。
このお社も陸奥国府の外郭に鎮座している。

明治二十二年奉納と書かれた草鞋(わらじ)の額
そして、草鞋や両脚(だけ)の像も奉納されているかと思えば・・・

数多くの金精様も奉納されている(汗)

コンセイサマもまた関東~東北地方にかけて多く祀られているらしい。

由来について上記案内文の通りだが、
元来は蝦夷由来の神もしくは
関東以北のヤマト王権支配以前から存在していた「まつろわぬ神」から
意味を色々と後付けされて派生していったのであろう。

歴史は常に書き換えられている。

社殿正面には「水金神」の石碑と
井戸があった
とはいうものの、千羽鶴や履物、布(股引きのようなもの)が
所狭しと奉納されているこのお社は、
近隣住民から古くより信奉されていた『聖域』だったのであろう。

社殿両脇に今尚坐している錆びた鉄燈籠が物語っているように思う。
(鉄燈籠は一般的に高名な社にしか存在しないものとされている)

太子堂
正面から左手にある太子堂

養蚕神社
荒脛巾神社の右手には養蚕神社が鎮座している

数多くのハサミが納められていた・・・
病の根を切るという信仰から鋏(はさみ)が多数奉納されているとのこと。
ボクにはそれ以外の意味も含まれていると思うのだが・・・

次回も多賀の社についてです。

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