宮城の社 曲木神社(籬島)と、終わりに。

2011年東北祈念の旅
曲木神社(籬島)
(宮城県塩竈市新浜町鎮座)

東北巡礼の旅第一幕の最終回は、鹽竈神社の境外末社である籬島に浮かぶ曲木神社について。

鹽竈神社の東約2㎞の位置に鎮座している。
ご祭神は奥津彦大神、奥津姫大神の二神を総称して籬島明神と呼ばれている。
鹽竈神社・志波彦神社のHPに御由緒が記載されているので、詳細はそちらをご参照ください。


曲木神社(籬島)
周囲約150メートルの曲木島は、籬島(まがきしま)とも称し、往昔鹽竈神社築造の際、「曲木を巧みに用いた」籬島明神を祀る小祠が島名の由来といわれている。

市街地造成、商港、漁港の修築等のため、大正以降幾多の塩竈湾内に浮かぶ島々が消え去ってゆき、現在湾内に浮かぶ唯一の島となった。この島は古来名島として歌枕に使われ古今和歌集、続後撰集、新勅撰和歌集、続古今和歌集、天木和歌集などにこの島を詠み込んだ歌が数多くみられる。

わが背子をみやこに遣りて塩竈の
まがきの島のまつぞ恋しき
(古今集巻第二十・東歌)

あけくれば籬の島をながめつつ
都恋しき昔のみぞなく
(新勅選集 源信明朝臣)

昭和三十八年、漁港建設のためこの島を含む対岸一帯が国の特別名勝区域から解除されたが、以上のような歴史的な背景を持つ島として、昭和四十一年九月五日、市の名勝として指定された。
(案内板より)

「こころここにあらず」な状態で鹽竈神社参拝後、この島に訪れてしばらくの間、七ヶ浜町で目の当たりにした惨状について考え込んでしまった。

堆く(うずたかく)積み上げられたガレキの堤とそこから発する悪臭。
基礎部分と門、そして主の名が書かれた表札のみを残してまるごと消失してしまった数十棟もの住宅街。
震災後9か月経つというのに、いまだ田畑に転がっていた自動車や船、流木。
自然に対する僕たちの無力さ、見てはいけないものを見てしまった罪悪感等々。

もし、木々に囲まれた登山路を歩いて山神社の磐座を登拝しなかったら、きっと悲しさと怖さのあまり、身動きを取る事ができなかったであろうな。

と同時に、決壊していた国道の橋は僅か半年で復旧し、護岸工事も着実に行われて、一歩毎ながら復興に向かって歩み出しているのも事実。
自衛隊やボランティアの方々のご尽力には頭が下がる思いで一杯である。

・・・とにかく福島の原発事故が『全て』の足かせになっているのが残念でならない。


これにて東北祈念の巡礼・第一幕は終了。


次回からは
実は一年前に巡っていた山城~大和国のお社等についてを。

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