奈良の社 橿原神宮と紀元節

橿原神宮
(奈良県橿原市久米町938鎮座)


本日は、2月11日紀元節。
紀元節とは、神武天皇が天皇に即位した日にちなんで制定された日で、今日では「建国記念の日」として国民の祝日とされている。
ということで、京都・奈良のお社シリーズ、第一回目は建国記念の日にちなみ、神武天皇を祀る社・橿原神宮について。

第一鳥居
橿原神宮は初代天皇といわれる神武天皇を祀るため、畝傍山の南東の麓・橿原宮址に明治23年(1890)に創建された。
御祭神は神武天皇と、皇后で事代主命(古事記では大物主命)の娘・媛蹈韛五十鈴媛命の二柱を祀っている。

南門
神武天皇といえば、記紀における『神武東征』
ここで簡単におはなしを要約してみると・・・

(要約)
天孫降臨の地、日向の高千穂峯に降り下った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の三代目の子孫、神日本磐余彦(かむやまといわれびこ)は兄・五瀬命と共に、国家統治の場所を東方に求めて倭国に向かった。

豊国・筑紫国・安芸国・吉備国を経て、河内国草香村(日下村)の白肩津に着き、生駒山を越えて倭(大和)に入ろうとするも、河内国を支配していた長髄彦(ながすねひこ)の軍に行く手を阻まれて、神武天皇の兄・五瀬命も戦死してしまった。

やむなく海路で迂回して、紀国熊野から上陸し、高天原から降りてきた八咫烏の先導で吉野を経て倭に入り、その地を平定したのだった。

途中のお話は小生のBlogを参照
お話・神武東征~熊野でのおはなし (←リンク)

畝傍山
そして東征の六年後、神武天皇は皇都をひらき、宮殿を造営する令を発した。

『見れば、かの畝傍山(うねびやま)の
東南の橿原の地は、思うに国の真中である。
ここに都を造るべき。』 

その後、辛酉の年春一月一日に天皇は橿原宮にてご即位し、この年を天皇の元年とした。

橿原神宮と畝傍山
神武天皇については人々に・・・
「畝傍の橿原に、
御殿の柱を大地の底の岩にしっかりと立てて、
高天原に千木高く聳え、
始めて天下を治められた天皇」
と言われ、神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれびこほほでみのすめらみこと)と評されて、篤く称えられた。
その後、七十六年春三月十一日、神武天皇は橿原宮で崩御され、翌年秋九月十二日、畝傍山の東北の陵(橿原市大字洞字ミサンサイ)に葬られた。
享年127歳。

以上、日本書紀巻三より要約しました。

外拝殿
橿原神宮(かしはらじんぐう)
祭神 
神武天皇、皇后 媛蹈韛五十鈴媛命

由緒 
神武天皇は天孫降臨の地、日向を発して大和に入られ国内を統一して畝傍山の東南橿原の地に皇居を営み、即位の礼をとりおこない日本建国の基礎を築かれた。

明治の時代になり、神武天皇を景仰してこの橿原の宮跡に橿原神宮の請願が民間有志から起り明治天皇にはこれを御嘉納になり、明治二十三年四月二日御鎮座になった。


内拝殿
社殿
創建に際し、明治天皇の思召により京都御所の賢所を拝殿(現在の神楽殿)として神嘉殿の献進があり、現在本殿は重要文化財となっている。

昭和十五年・紀元二千六百年記念事業として宮城整備拡張事業が行われ、幣殿 内拝殿 外拝殿、回廊その他が新たに造営され現在に至った。

例祭 紀元祭 二月十一日
(境内案内板より)

さて、日本書紀を読む限りだと、紀元節は一月一日ではないか?と思われるが、二月十一日が紀元節となった理由は次の通りである。

時は明治五年。
明治政府は神武天皇の即位をもって『紀元』と定め、一月二十九日(旧暦一月一日)を紀元節と定めた。
しかし、日にちが旧正月と重なってしまい、さらに孝明天皇のご命日(1月30日)と前後してしまう為、混同されてしまう可能性があった。

神楽殿
そこで明治政府は、明治六年十月十四日、新たに神武天皇即位日を定め直し、二月十一日を紀元節と定めた。

理由は・・・
① 神武天皇の即位年である「辛酉年」は『日本書紀』の編年(720年・養老4年)を元に計算すると、西暦紀元前660年に相当し、
② 即位月は「春正月」であることから立春の前後であり、
③ 即位日の干支は「庚辰」である。

そこで、西暦紀元前660年の『立春に最も近い庚辰の日』を探すと、新暦2月11日が特定されたとのこと。
(ウィキペディアより要約・抜粋)

その後、紀元節は日本国中で大々的に紀元節祭が行われていた『神聖な日』とされてきたが、太平洋戦争後、社会党・片山哲内閣及び米帝(GHQ)の指示により、国民の祝日から削除されてしまった。
しかし、後の佐藤栄作内閣により、「建国をしのび、国を愛する心を養う。」という趣旨の「建国記念の日」が制定され、今日に至っている。

美しい大和の風景
建国の賛否は別にして、日本書紀第三巻・神武天皇の巻末に、「日本」について、次のように記されている。

神武天皇曰く、
『なんと素晴らしい国を得たことだ。
狭い国ではあるけれども、
蜻蛉(あきつ・トンボのこと)がトナメ(交尾)しているように、山々が連なり囲んでいる国だ』

伊弉諾尊(イザナギ)曰く、
『日本(やまと)は心安らぐ国、
良い武器がたくさんある国、勝れていて良く整った国』

大己貴命(オオナムチ)曰く、
『玉嬙(たまかき)の内つ国
(美しい垣のような山に囲まれた国)』

『建国記念の日』は、建国論の是非云々でなく、素直な気持ちを以て、自分達が生活している「美しい国」について年に一度考えてみる日になれば良いな、と思っています。

次回からは山城国のお社です♪

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