京都の社 貴船神社 本宮

京都の社
貴船神社 本宮
(京都市左京区鞍馬貴船町180御鎮座)



二の鳥居
二の鳥居、そして石畳の階段を上がると貴船神社本宮が鎮座されている。
貴船神社は、本宮・結社・奥宮の三社からなる神社で、全国貴船神社の総本社。

本宮南参道
本宮の御祭神は高龗神で水を司る神様をお祀りしている。
創建年代は不詳ながら、伝説によると神武天皇の母にあたる玉依姫命が黄色の船に乗って難波津から淀川を経て鴨川を溯り、現在の奥宮の地に至り、祠に水神を祀ったのが創建と伝わっている。

神門
貴船神社は、絵馬発祥の地として有名。
また、平安時代の歌人・和泉式部が参拝し、夫との復縁祈願が成就したことから、縁結びの神としての信仰もある一方、いわゆる『丑の刻参り』に代表される縁切りの神、呪咀神としても信仰されている。

本宮境内
『一般に丑の刻参りとは、白い着物を着け、髪は乱し、顔に白粉、歯には鉄漿、口紅は濃くつけ、頭には鉄輪をかぶり、その三つの足にローソクを立てて灯す。

胸には鏡を掛け、口には櫛をくわえる。履き物は歯の高い足駄とされる。 そして寺社の古い神木に憎むべき相手をかたどったワラ人形に五寸釘を金槌で打ち込む姿が典型的な作法とされている。
そして、人に見られる事なく七日間丑の刻参りを行い帰る途中に黒い大きな牛が行く手に寝そべっていると、それを恐れることなく乗り越えて帰るとみごと呪いが成就すると云う・・・。』
詳細については貴船神社ホームページに記載されていますので、ご参照を。

拝殿
貴船神社

主祭神: 高龗神
結社: 磐長姫命

水徳神・高龗神を祀る旧官幣中社で、社名は古くは木船、貴布祢とも書かれたが、明治四年(1871)以降「貴船」と改められた。
平安時代延喜の制には、明神大社というもっとも高い格式に列し、日照りや長雨が続いたとき、また国家有事の際には必ず勅使が差し向けられ、祈念がこめられた。

拝殿内部
弘仁九年(818)以来の歴長の奉幣、祈願では、もっぱら祈雨、止雨の神として崇められ、祈雨には黒馬、祈晴には白馬又は赤馬が献ぜられるのが例であった。
平安時代末期には賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社とされたが、明治以降独立した。

かつて社殿は貴船川に沿って上がった所にある現在の奥宮の地にあったが、天喜三年(1055)、現在地に移転された。

本殿、拝殿、権殿等から成り、本殿は文久三年(1863)及び平成十七年に改修された。
また、境内には祈雨の行事を行った雨乞の滝、奥宮本殿の西には船形石と呼ばれる船の形に積んだ石塁がある。

和泉式部がお参りし、不和となっていた夫と願いがかなって復縁した話はよく知られている。

神水
神水
一、自ら活動して他を働かしむるは水なり
二、常に自ら進路を求めて止まざるは水なり
三、自ら清くして他の汚水を洗い清め 濁併せ容るるの量あるは水なり
四、障害に逢い激しくその勢力を百倍するは水なり
五、洋々として大洋を充たし、発して蒸気となり雲となり
雪と変し霰(あられ)と化し凝っては玲ろうたる鏡となる、而もその性を失わざるは水なり

・・・実に心に響く言葉だったので、掲載しました。

御神水が湧き立つ源である貴船山には、貴船神社の磐座「鏡岩」がある。
貴船山の中腹にある太古の伝説を秘めた鏡岩は、神社ができる以前の古代の祭りの場だった。
貴船神社の神様が丑の年の丑の月の丑の刻にこの鏡岩に天から降りてこられたとの伝説が残っている。
それゆえに神聖な岩であり、現在は禁足地(きんそくち)になっている。

ちなみにいくつかの大きな岩が積み重なって中央が室となっているとのこと。

絵馬発祥の社
古来より雨乞の社として名高い当社には、畏くも歴代天皇様より旱天(ひでり)には黒馬・霖雨には白馬又は赤馬を、その都度献げて御祈願される例になっていました。
しかし、時には生馬に換えて『板立馬』を奉納したと、平安時代の文献である『類聚符宣杪』は伝えています。
この「板立馬」こそは今日の絵馬の原形と伝えています。
当宮では、此の故事に倣い、かつて和泉式部が復縁を平實重が蔵人昇任を、大宮人が加茂競馬の必勝を、そして蜷元義経が源氏再興を、それぞれ大神様に祈った。

本宮 諸願成就
結社 うんむすび
奥宮 心願成就

右: 牛一社、左: 川尾社
貴船神社 末社 牛一社
御祭神 木花開耶姫命(古伝に牛鬼) 例祭二月十五日
牛鬼は貴船明神が丑の月丑の日丑の刻に御降臨の際にお伴した神。
丑の刻参りは有名。

貴船神社 末社 川尾社
御祭神 罔象女神 例祭 二月十五日
往古、思い川にあって河水を主宰し給う神であった。いつしか鈴鹿谷の下にあるを以て川尾社と称う。病気平穏の神。

鈴鹿社
貴船神社 末社 鈴鹿社
御祭神 大比古命 (古伝に皇大神宮)
もと本社裏手、鈴鹿谷の上にあり。往古より伊勢の大神を祀るという。
例祭 三月十五日

石庭
天津磐境(あまついわさか)とも呼ばれ、昭和の作庭家の第一人者、故重森三玲(しげもり みれい)氏が、昭和40年に古代の人々が神祭りをおこなった神聖な祭場「天津磐境」をイメージして作った石庭。
中央の椿の木がマスト(帆)であり、神が御降臨になる樹、神籬(ひもろぎ)でもあります。

神武天皇の母神様・玉依姫が浪速の津から水源の地を求めて黄色の船に乗ってこの地に来られたとの貴船神社創建の伝承にちなんでいます。

次回は縁結びの神様が坐している♡貴船神社 結社です。

貴船神社参拝記
1. 貴船神社 本宮までの道程 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_13.html
2. 貴船神社 本宮 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_15.html
3. 貴船神社 結社 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_17.html
4. 貴船神社 奥宮と船形石 ⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/02/blog-post_20.html

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