京都の社 崇道神社 御霊信仰の社

京都の社
崇道神社
(京都市上高野西明寺山鎮座)

崇道神社は、貴船神社同様に京都北東(丑寅・鬼門)に位置している神社で、御霊信仰の神社として有名なお社。
御霊信仰とは天災や疫病などの発生を、恨みを持って死亡した者の怨霊によるものと考えて、この霊を御霊として祀り、祟りを鎮める信仰のことで、平安時代以降盛んになった。

分かり易い有名な例では「八所御霊」の一神・菅原道真の火雷神。
(全国の天神さまや天満宮で祀られてます)

人を謀るようなことをして、恨みを買うようなことをしてはなりませんね・・・。

高野川と比叡山
京都大原から流れる高野川の清流。
とても情緒を感じさせる日本的な風景。
この川沿いにある鬱蒼とした森の中に崇道神社が鎮座している。

一の鳥居
御祭神の早良親王(さわらしんのう)は実兄であった桓武天皇の対抗勢力の中心人物と目されていた。
そこで桓武天皇は延暦四年(785)、平城京から京都長岡京へ遷都する最高責任者(造宮使)に任命されていた藤原種継の暗殺事件に関与した罪を実の弟に被せた。
その後親王は捕まり、淡路に配流(島流し)の最中、無実を訴えるために絶食したが、河内国高瀬橋付近で憤死してしまった。

参道
早良親王が亡くなった後に遷都するも、日照りによる天災や悪疫が流行し、桓武天皇の妃三人や母が相次いで病死、さらにその皇子(のちの平城天皇)まで病を患ってしまった。

『これは早良親王の祟りだ!』

とされ、その怨霊を鎮めるために『崇道天皇』の追号を贈り、貞観五年(863)には神泉苑で御霊会がおこなわれたという・・・。

二の鳥居
崇道神社(すどうじんじゃ)

奈良末期~平安初期の皇族、早良親王を祀る。
早良親王は光仁天皇・高野新笠の子で、桓武天皇の実弟である。延暦四年に起った藤原種継暗殺事件の首謀者として逮捕され、乙訓寺に霊閉された後、淡路に流される途中、無実を主張して絶食死した。

その後、桓武天皇の近親者の死が続き、都に悪疫が流行したため、早良親王の祟りと噂され、その怨霊を鎮めるために延暦十九年には崇道天皇と追号を送り、墓を現在の八島稜へ改葬した。

ほかに藤森神社・上御霊神社にも崇道天皇が祀られているが、崇道天皇のみを祭神としているのは、この崇道神社だけである。

京都市案内板
境内
当社は桓武天皇の皇弟早良親王(崇道天皇の諡を追尊)を奉祀する旧高野村の産土の社でその創建年代は詳かでない。
延暦四年に造長岡京使藤原種継暗殺事件がおこり、親王も関係ありとされて淡路島へ配流の道中、大山崎で怨念を残しつつ憤死された。

その後朝廷をはじめ都の内外に不吉な事故と奇妙な異変が続発した。これらの怪異天災に親王の怨霊の祟りがあると占に出たために鎮魂の行事が盛んに行はれた。都の鬼門に当ると共に北陸への要衝のこの高野の地に御霊社として親王を祀ることとなった。

御霊信仰の全国的に流行する貞観時代に早良親王のみを祭った例はない。
(境内案内板より)


まだまだ続く崇道神社。
次回は境内社についてです。

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