25 February 2012

京都の社 「三柱鳥居」 木嶋坐天照御魂神社

Location 日本, 京都府京都市右京区太秦森ケ東町
京都の社
木嶋坐天照御魂神社 (蚕の社)
(京都府京都市右京区太秦森ヶ東町50番地鎮座)

一の鳥居
京福電車・蚕の社駅前に一の鳥居と石灯籠があり、そこから徒歩5分程度の地に木嶋坐天照御魂神社が鎮座している。
本神社は延喜式神名帳にて明神大社に列せられていた古社。
渡来系氏族・葛野秦氏が建立したとされる広隆寺の真東にあたり、同寺南門と当社鳥居はほぼ面 を合わせている。

二の鳥居
この神社は通称『蚕の社』とも呼ばれ、境内に鎮座する蚕養神社に因んでいる。

本神社が鎮座する太秦・嵯峨野一帯は、先土器時代の時代から人々が居住していたといい、多くの住居跡や土器、銅鐸などが出土されている。

また中国より朝鮮半島を経由して渡来した秦氏が3世紀頃に製陶、養蚕、織物などの技術を持ち込んだとされ、この地一帯はかつて養蚕や機織産業が盛んだったことが窺える。

機織り(はたおり)の語源は秦織り(秦氏が伝来した織り方)ということなのかな?

拝殿
木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
通称:蚕の社 

祭神
天御中主命
大国魂命
穂々出見命
鵜茅茸不合命

この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内社で、天御中主命・大国魂命・穂々出見命・鵜茅茸不合命を祀っている。 「続日本紀」大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。

嵯峨野一帯は、古墳時代に中国大陸や半島から渡来し、製陶・養蚕・機織などに優れた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社(東本殿)があり「蚕の社」もそれにちなんだ社名である。
幣殿
 この神社は、古くより祈雨の神として信仰が篤く、参詣の人も多かったことが平安時代に書かれた「日本三代実録」や「梁塵秘抄」などの文献からうかがい知ることが出来る。 社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を取囲むように巨樹が繁茂している。

本殿の西側には四季湧水する「元糺(もとただし)の池」という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居のひとつとされる石製三柱鳥居が建つ。

例祭は、毎年10月10日に行われるが、夏期土用丑の日には、この池に手足を渡すと諸病によいという庶民信仰がある。

市内でも最古に属する当神社は、境内から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の姿をよくとどめており、京都発展に大きな役割を果たしてきた秦氏との関連を含め、大変貴重なものとして昭和60年6月1日京都市の史跡に指定された。
指定面積11,131㎡

京都市
元糺の森
本殿西側には『元糺の森(もとただすのもり)』という森がある。

『糺の森』といえば、本神社の北東に鎮座する賀茂御祖神社(下鴨神社)境内の森のことを指すが、嵯峨天皇の御代にこの地から遷されて以降、下鴨神社の森を『糺の森』、本神社の森を『元糺の森』と称するようになったという。
夏の土用の丑の日にこの泉から流れる水に手足を浸すと諸病に良いとされている。

三柱鳥居

森の中『元糺(もとただす)の池』にある神秘的な石製の三柱鳥居。
鳥居中央には依り代 として円錐形に小石が積み上げられ、中心には御幣が立てられている。
鳥居は天保二年(1831)建立らしいが、それ以前も同様の三柱鳥居が置かれていたという。

鳥居の三方向は、北は雙ヶ岡古墳群、西は松尾大社、東は伏見稲荷大社の方向で、いずれも秦氏ゆかりの地であることから、おそらく秦一族の『気が宿る』霊泉として崇められていたのであろう。

境内
補足として、平安時代には祈雨などに際して幾度も奉幣が捧げられ、貞観元年(859)には正五位下に列し、さらに鎌倉時代には承久三年(1221)の承久の変に際して、後鳥羽上皇方の三浦胤義・胤連父子が当社に籠るが、幕府方に包囲されたため自害しのち火が放たれ社殿が焼亡した、という記録がある。

実にミステリアスな空気が濃く漂っている太秦の社。
次回は梅宮大社です。


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