京都の社 松尾大社と京都・水の歴史

京都の社
松尾大社
(京都府京都市西京区嵐山宮町3鎮座)



松尾大社は嵐山に鎮座する社で、四世紀以降中国大陸から畿内、山城に入植した渡来系一族・秦氏の氏神として祀り、二十二社のひとつである明神大社である。

また、北に玄武(賀茂別雷神社)、東に蒼龍(八坂神社)、西に白虎(松尾大社)、南に朱雀(城南宮)という四神相応に囲まれた平安神宮を総称して『京都五社』ともいわれている。

松尾大社の創始は太古の昔よりこの地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の山霊を頂上(223m)に近い大杉谷の上部の磐座を祀り、生活の守護神として尊崇したのがはじまりという。

鳥居
松尾大社の赤鳥居の注連縄にはに榊の小枝を束ねたものが数多く垂れ下げていて、脇勧請と称されている。榊の束数は平年は12本、閏年は13本吊り下げる慣わしとなっている。

脇勧請
この形は『鳥居』の原始形式を示すもので、太古の昔、参道の両側に二本の木を植えて神を迎え、柱と柱の間に縄を張り、その年の月数だけの細縄を垂れて、月々の農作物の出来具合を占ったという。

楼門
松尾大社の楼門は、一般的な朱色の楼門とは異なり、木目調の(!?)落ち着いた造り。
この写真だと少し見えにくいが、楼門には多くのしゃもじが置かれている。
どうやら絵馬のようなものらしく、しゃもじに願いを書くことで、『心願がすくわれる』という意味があるらしい。
その佇まいは桂川の対岸に鎮座する梅宮大社に近似しているように思える。

拝殿
松尾大社 (まつのおたいしゃ)

御祭神
大山咋神 (おおやまぐいのかみ)
市杵島姫命 (いちきしまひめのみこと)
以上、二柱の神を祀る

本殿全景
当社は京都最古の神社で、太古この地方に住んでいた住民が、松尾山の神霊を祀って守護神としたのが起源とされております。
五世紀頃に朝鮮半島より渡来してきた秦氏が、この地に移住して松尾の神を一族の総氏神と仰ぎ、山城・丹波の両国を開拓し河川を治めて農林産業を興しました。

釣殿
文武天皇の大宝元年(701)勅命により、秦忌寸都理(はたのいみきどり)が現在地に社殿を創建してより、平安時代以降は賀茂両社と共に皇城鎮護の社とされてまいりました。
特に近世以降は醸造祖神として、全国の酒・味噌・醤油・酢等の製造及び販売業の皆様から格別な尊崇を受けております。

釣殿から回廊を望む
現在の御社殿は室町時代の応永四年(1397)に建立され、天文十一年(1542)に大修理を施したものです。屋根は両流造りで千木・鰹木を置かず、箱棟の両端が唐破風形となっており、その特殊な造りから『松尾造り』と称され、重要文化財に指定されております。
(松尾大社配布御由緒より)

拝殿
松尾大社の神苑(松風苑三庭園)には霊亀の滝と亀の井がある。
(500円の参詣料と時間の都合により見ることは出来なかった・・・)
特に亀の井の霊泉は、伝承によると、酒造家はこの水を酒の元水として造り水に混和して用いてたという。

ところで、何故京都には『霊泉』と云われる泉が多いのか?
それは京都独特の地形にヒントが隠されていると思う。

拝殿から釣殿を望む
京都の地下には縦33キロ、横12キロ、一番深いところで水深800メートルの岩盤で出来た『京都水盆』という地下水脈があるという。
京都は三方を山に囲まれた盆地になっていて、それぞれの山の岩盤を伝って地中に潜り込んだ水がその水瓶に溜まっていく形状になっており、出口が南西の山崎周辺の天王山と、石清水八幡宮が鎮座する男山の間の辺りに一本あるだけなので、地下ダムのような役割となり、海へ少しずつしか流れていかない。

神輿庫
この巨大な地下水脈には琵琶湖の水量の約8割(約211億㎡)の水が蓄えてられるといい、1000年もの間、都が京都に置かれたのはこの独特な地形と豊富な地下水があったのが大きな理由だという。
岩脈で洗われた良質で豊富な地下水は現在でも変わりなく、清酒やお茶(茶道)などはもちろんのこと、豆腐や湯葉、生麩など、『水が命』の産業はいまも洛中に多く残っている。

さらに、琵琶湖が水源の宇治川と伊賀上野方面が水源の木津川、そして京都北部の山地が水源の桂川が、地下水脈と同様に、天王山(山崎)と男山(石清水八幡宮)との間で合流し、ここから淀川となって大阪湾に流れ出している。

桂川
昭和の干拓事業でその姿はなくなってしまったが、かつての京都には、合流点付近(久我山~小倉一帯)は巨椋池(おぐらいけ)という広大な湖沼があり、奈良時代辺りまでは湖畔周辺も含めて大湿地帯だったと考えられている。

そこで秦氏を代表とする一族が、桂川流域の河川整備や巨椋池の北部を中心とした干拓事業をおこない、稲穂の育つ地を築いて平安京の礎を作っていった。
また、霊泉が湧きたつ井戸のある地を拠点として、「酒」の製造で京の人々を虜にして、いつしか『日本第一醸造祖神』として幅広い信仰を集めていったのではないのか?

・・・な~んて、酒を飲みながら書いた妄想でした♪


次回はいよいよ賀茂のお社です。

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