9 March 2012

京都の社 賀茂御祖神社 (下鴨神社)

Location 日本, 京都府京都市左京区下鴨泉川町59
京都の社
賀茂御祖神社 (下鴨神社) 
(京都府京都市左京区下鴨泉川町59番地鎮座)



今回は『下鴨さま』こと賀茂御祖神社。
『上賀茂さま』こと賀茂別雷神社とともに山城国一宮、二十二社、勅祭社に比定された神社。平成六年に世界文化遺産に登録されたお社である。

鳥居と社標
御祭神は、賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御祭神・賀茂別雷神の母玉依媛命と、その父で神武東征の際に高木神・天照大神の命を受けて日向の曾の峰に天降ったのち、大和の葛木山で八咫烏に化身して神武天皇を導いたといわれている賀茂建角身命。

ちなみに「みたらい団子」は当社発祥らしい。

糺の森
参道脇には賀茂御祖神社の摂社である河合神社が鎮座しているも失念してしまった・・・。
時間ばかりに気をとられるとロクなことがない典型です。

さて、参道の周囲約十二万四千平方メートル(東京ドームの約三倍)に及ぶ境内の自然林は「糺の森」として国の史跡に指定されている。
糺の森は、古代の山城国の名残をとどめる自然遺産で、数々の社殿群とともに世界文化遺産にも登録されている。

朱鳥居
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)

祭神
玉依媛命(東殿)
賀茂建角身命(西殿)

京都は鴨川を中心に町づくりがなされており、鴨川の下流にまつられているお社ということから「下鴨さん」「下鴨神社」と親しくよばれています。
東西の二殿の本殿はともに国宝である。

上賀茂神社の祭神である賀茂別雷神の母の玉依媛命と玉依媛命の父の賀茂建角身命を祀ることから、正しくは賀茂御祖神社といい、上賀茂神社とともに賀茂社と称される。

楼門
山城国「風土記」に・・・
玉依媛命が鴨川で禊をされているときに、上流より流れ来た丹塗の矢を拾われて床に置かれたところ、矢は美しい男神になられ結婚された。そして御子をお生みになった。
との神話が伝えられていることから、古くから縁結び、子育ての神様として信仰されている。

歴史・創祀

当神社がまつられたのは、崇神天皇の二年(BC2)に神社の瑞垣の修造が行われたという記録があり、それ以前の古い時代からまつられていたとおもわれます。
先年糺の森周辺の発掘調査で弥生時代の住居跡や土器がたくさん発掘され、それを裏付けています。

舞殿
また社伝や歴史書に、御祭り、社伝、ご神宝等の奉納などが記録されています。
『続日本紀』の文武天皇二年(698)には、葵祭に見物人がたくさん集まるので警備するように、という命令が出された、という記事があります。
このことから、奈良時代より前から当神社が大きなお社で、盛大な御祭がおこなわれていたことがわかります。

中門
平安時代には、国と首都京都の守護神として、また皇室の氏神様として、特別の信仰を受け、式年遷宮や斎王の制度などが定められていた特別な神社であったことがしられます。

平安遷都(794)後は王城の守護神として、朝廷をはじめ公家や武家の崇敬を集め、弘仁元年(810)以降、約400年にわたり、斎院(斎王の御所)が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。
そして『源氏物語』や『枕草子』など王朝文学にしばしば登場するように、この時代の文化、宗教の中心地の一つとして栄えました。

拝殿
平安時代末期になりますと全国に六十余箇所もの荘園、御厨が寄進され神社を支えました。
鎌倉時代、室町時代、そして戦乱の世になっていくにつれ、各地の荘園も連絡が次第に絶えていきますが、代わって国民の信仰が神社をささえていくようになりました。

神殿守(殿司)とよばれる人々が全国を回って御神徳を説いていくのもこのころです。当神社を舞台とする、数多くの能(謡曲)などに、そのころの様子が伺われます。また国の重要な出来事には、必ず御祈願が行われました。

東本殿
江戸時代にも、国と国民の幸福を祈願する神社として、神社の運営のため幕府より領地が寄せられました。江戸末期の文久三年(1863)に造替された東本殿と西本殿が国宝に指定されているほか、多くの社殿が重要文化財に指定されている。
明治初年、全国の神社の代表として、官幣大社の首位におかれ、今日まで国と国民のための祈願を日々おこなっています。
(以上、御由緒などより)

言社(二言社)
東西本殿前に7つの祠があるが、ここは言社(えとの守り神)と呼ばれる大国主命を祀る社。
一言社(東社) 大国魂神(巳・未歳生まれの人の守護神)
一言社(西社) 顕国魂神(午歳生まれの人の守護神)
二言社(西社) 大国主神(子歳生まれの人の守護神)
二言社(南社) 大物主神(丑・亥歳生まれの人の守護神)
三言社(北社) 志固男神(卯・酉歳生まれの人の守護神)
三言社(中社) 大己貴神(寅・戌歳生まれの人の守護神)
三言社(南社) 八千矛神(辰・申歳生まれの人の守護神)
大国主命は働きによりお名前を七つおもちで、お名前毎に神社がまつられている。それぞれが十二支の生まれ年の守護神として信仰されている。

御手洗社
みたらしの池の上にある御手洗社。又の名を井上社ともいう。
瀬織津比賣命を祀っていて、病気やけが、様々な災難除けの神様の御神徳がある。

お社は井戸の上に建立されており、社前がみたらしの池と呼ばれ、下流を御手洗川と呼んでいる。
(参拝時には池水は涸れていた)

池の南庭は、御祭の時のお祓いの場所で、葵祭に先だって斎王代が禊をされる場所である。
夏の土用丑の日の「足つけ神事」、立秋前夜の「矢取り神事」は有名。
みたらしの池の湧く水のあぶくを人の形に模ったのが「みたらし団子」で、発祥の地とされている。
輪橋
賀茂御祖神社の摂社である三井神社は残念ながら社殿造営中で参拝できず・・・。

ということで、メモとして境内案内板のみ記しておく。

摂社 三井神社
例祭 三月七日
御祭神 東殿 伊賀古夜日売命、中殿 賀茂建角命、西殿 玉依日売命
延喜式内の大社で山城国風土記に蓼倉の「三身社」とある社である。

本宮の若宮(若々しいご神霊)としての信仰があり、末社には葵祭りの斎王さまで知られる初代有智子内親王(嵯峨天皇の皇女)から第三五代礼子内親王(鎌倉時代の後鳥羽天皇の皇女)まで、歴代斎王のご神霊をまつるお社。けまりの神様を祀るお社などがある。

出雲井於神社
重要文化財 出雲井於神社
祭神 建速須佐乃男命
例祭日 十月十四日
『延喜式』に、「出雲井於神社」とある神社で「日本書紀」神武天皇二年の条に葛野主県主部とある人々が祖神としてお祭りした神社です。

古代山城北部に住んでいたこの県主部たちは、鴨氏と同じ祖先に属し、「神亀三年(726)山背国愛宕郡出雲郷雲上、雲下里計帳」(『正倉院文書』)で知られる人たちです。
大宝令(700)以降、山代国葛野郡は四つに分割され、鴨川と高野川の合流点より東山、北山までの地域が愛宕郡となり鴨川の東岸が蓼倉郷、西岸が出雲郷となりました。

出雲井於神社
「井於(いのへ)」とは、鴨川のほとりのことで、出雲郷の鴨川のほとりの神社という意味です。

承和二年(844)二月二十日、太政官符によって定められた鴨社領出雲郷の総社でありました。 その地域の氏神社、地主社として信仰が篤く通称を比良木神社と呼ばれています。

また、厄年の御祈願としてこの神社の周りに御献木すると、ことごとく柊(ひいらぎ)にてお願い事が叶う「何でも柊」と呼ばれ、京の七不思議になっています。 特に古来より、お祭りに「お茶」を薬草としてお供えされるところから、お茶の神様としても信仰されます。 さらに「ヒラキの牛王宝札」という特別御祈願符がいただけます。

 現在の社殿は寛永六年度(1629)式年遷宮の時、先の式年遷宮(天正九年(1561))に造替された御本宮本殿が移築され、当神社の中ではもっとも古い貴重な社殿です。

とても鮮やかな朱色の楼門。
東国の社を中心に参拝している身からすると、京のお社には麗しい程美しく、且つ気品が漂っているようにみえる。
京都に住んでいる方々が、正直言って羨ましい><


次回は、伏見のお社です。

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