11 March 2012

京都の社 御香宮神社 「石井の御香水」

Location 日本, 京都府京都市伏見区
御香宮神社
(京都府京都市伏見区御香宮門前町鎮座)

御香宮は、予め参拝しようと計画に入れていた神社ではなく、たまたま降りた駅の近くで大鳥居を発見し、何かに導かれるように参拝してしまったお社でした。

駅前の呑み屋通
約二日間に亘る大和国(奈良)寺社巡りからの帰路途中、空腹に耐えかねて電車から飛び降りて駅前のお好み焼屋で『食事兼独り打ち上げ会』をおこなっていました。

大鳥居
ほろ酔い気分でお好み焼屋から散歩したら、朱色の大鳥居を発見♪
酔いさまし目的で、神社の社頭まで歩いてみたら・・・。

表門
見事な門前構え!

こりゃ、御参りしなきゃバチが当たる!という理由で参拝したというのが真実です(笑)

表門
元和八年(一六二二)、 徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進した。三間一戸(三げん一と)、切妻造(きりもやづくり) 、本瓦葺、薬医門(やくいもん)、雄大な木割、雄渾な蟇股、どっしりと落ち着いた豪壮な構えは伏見城の大手門たる貫禄を示している。

表門と二の鳥居
御香宮は、伏見九郷(旧伏見町)の産土神(うぶずながみ)として古来から最も信仰されている洛南屈指の神社。
江戸時代、伏見は交通の要衝として栄え、政治・経済上重要な地であったため、幕府の直轄地として奉行所が置かれ、この社も徳川幕府により大規模に造営されてきた。

縁起には諸説があるが、筑前国糟屋郡(福岡市香椎町)にある香椎宮(祭神・神功皇后・仲哀天皇)を勧進し、御香椎の椎を略し御香宮となったという説がある。

参道
また、度々日本史の舞台に登場してくるお社で、幕末・戊辰戦争の緒戦となった鳥羽伏見の戦いでは、薩摩藩を中心とする官軍の本陣として伏見奉行所に陣取る新撰組・会津藩など幕府軍と激戦となった地であった。

拝殿
拝殿
寛永二年(一六二五)、徳川頼宣(紀州徳川家初代)の寄進にかかる。
桁行七間(けたゆき七げん)、梁行三間(りょうゆき三げん)、入母屋造(いりもやづくり)、本瓦葺の割拝殿(わりはいでん)。正面軒唐破風(のきからはふ)は、手の込んだ彫刻によって埋められている。

拝殿正面 軒唐破風
特に五三桐の蟇股や大瓶束(たいへいづか)によって左右区切られている彫刻は、向かって右は『鯉の瀧のぼり』、すなわち龍神伝説の光景を彫刻し、左はこれに応ずる如く、琴高仙人(きんこうせんにん)が鯉に跨って瀧の中ほどまで昇っている光景を写している。

この拝殿は伏見城御車寄(くるまよせ)の拝領と一部誤り伝えられる程の豪壮華麗な建物である。 平成九年六月に半解体修理が竣工し極彩色が復元された。

割拝殿
御祭神
神功皇后、仲哀天皇、応神天皇など九柱


御由緒
日本第一安産守護之大神として広く崇められている、
神功皇后を主祭神として仲哀天皇・応神天皇他六柱の神を祭る。


初めは、『御諸神社』と称したが、平安時代貞観四年(八六二)九月九日に、この境内から「香」の良い水が涌き出たので、清和天皇よりその奇端によって、『御香宮』の名を賜った。

本殿礼所
豊臣秀吉は天正十八年(一五九〇)、願文と太刀(重要文化財)を献じてその成功を祈り、やがて伏見築城に際して、城内に鬼門除けの神として勧請し社領三百石を献じた。
その後、徳川家康は慶長十年(一六〇五)に元の地に本殿を造営し社領三百石を献じた。
慶応四年(一八六八)正月、伏見鳥羽の戦には伏見奉行所に幕軍が據り、当社は官軍(薩摩藩)の屯所となったが幸いにして戦火は免れた。


十月の神幸祭は、伏見九郷の総鎮守の祭礼とされ、古来『伏見祭』と称せられ今も洛南随一の大祭として聞こえている。

本殿
本殿
慶長十年(一六〇五)、徳川家康の命により京都所司代坂倉勝重を普請奉行として着手建立された。
全体の造り、細部の装飾ともに豪壮華麗でよく時代の特色をあらわし桃山時代の大型社殿として価値が高く、昭和六十年五月十八日重要文化財として指定された。

現社殿造営以降、江戸時代社殿修復に関しては、そのつど伏見奉行に出願し、それらの費用は、紀伊、尾張、水戸の徳川三家の御寄進金を氏子一般の浄財でもって行われた。

大修理時には、神主自ら江戸に下って寺社奉行に出願して徳川幕府直接の御寄進を仰いだ例も少なくなかった。
平成二年より着手された修理により約三百九十年ぶりに極彩色が復元された。

御香水
御香水
当社の名の由来となった清泉で「石井の御香水」として、伏見の七名水の一つで、徳川頼宣、頼房、義直の各公は、 この水を産湯として使われた。
絵馬堂には御香水の霊験説話を画題にした『社頭申曳之図』が懸っている。
明治以降、涸れていたのを昭和五十七年復元、昭和六十年一月、環境庁(現、環境省)より京の名水の代表として『名水百選』に認定された。
(ちなみに現在水汲みが出来る場所は本殿前です)

神輿庫
千姫神輿が収納されている神輿庫。
徳川秀忠が長女千姫誕生のお祝いに御香宮へ寄進したもの。
六百貫(2250㎏!)もの重量の為に担ぎ手がいなく、この庫に置かれている。
(・・・って、どんだけ寵愛しているんだ^^)

東照宮
松尾社
境内には東照宮、松尾社、弁天社、豊国社、稲荷社、末社群などが鎮座している。
どの社も立派な造りをしている。

伏見義民碑
境内の西側にある碑は伏見義民碑という明治時代の自由民権運動の先駆けとされている市民運動碑。
この碑の礎石は古代寺院の塔心の礎石ではないかという説がある。
天明5年(1785)、時の伏見奉行・小堀政方の悪政を幕府に直訴し、伏見町民の苦難を救い、自らは悲惨な最期を遂げた文珠久助ら7人を伏見義民といい、毎年5月18日には伏見義民碑保存会によって慰霊祭が執行されている。
この碑は明治20年(1887)に建てられたもので碑文は勝海舟の撰、題字は三条実美の書である。
(境内案内板より)


京都のお社巡りはこれにて終了。

次回からは日本のまほろば、大和国~奈良の社巡りです♪

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