奈良の社 石上神宮 伊勢神宮と並び称された神宮

奈良の社
石上神宮
(奈良県天理市布留町384鎮座)

奈良の社~記念すべき1回目は、天理市布留山の麓に鎮座する石上神宮。

神社の社号に『神宮』と付くお社は、現在数多くあるが、日本書紀で『神宮』と称されたのは伊勢神宮と当宮のみ。古代氏族である物部氏が祭祀し、『ヤマト政権の武器庫』としての役割も果たしてきたとも考えられている。

古事記・履中天皇の巻には、石上神宮について次のような記述がある。

仁徳天皇の死後、大江之伊耶本和気命(履中天皇)が難波宮にて、皇位を継承する神事・大嘗祭の最中に、彼の弟・墨江中王が宮殿に火を放ち暗殺を謀った。

倭漢直の祖・阿知の直に助けられた天皇は、波邇賦坂(現:大阪府羽曳野市飛鳥)から大坂(現:奈良県香芝市逢坂)を経由して、大和國山邊郡『石上の振神宮』へ向かおうと試み、大坂の入口まで辿り着いた。

そのとき一人の女性が現れて、天皇に・・・
「武器を持った兵隊が大勢この山で待ち伏せしています。
南にまわって當麻道(たいまじ~竹内街道)から遠回りをして行かれる方がよいでしょう。」

天皇は女性の進言に従い、二上山の麓へ迂回して、無事に『石上の振神宮』に到着したそうな。

鬱蒼とした森の中にある参道
また、日本書記の垂仁天皇の巻には、石上神宮が伊勢神宮と並び記されており、『ヤマト政権の武器庫』と称される所以も併記されていた。

『三十九年冬十月、(石上神宮の祭神)五十瓊敷命は、茅渟(ちぬ・和泉の海)の菟砥(うと)の川上宮(現:大阪府阪南市自然田附近)においでになり、剣一千キロを造らせられた。よってその剣を川上部という。またの名を裸伴という。
忍坂邑に納めた後、忍坂から移して石上神宮に納めた
この後五十瓊敷命に仰せられて、石上神宮の神宝を掌せられた。』

以上のことからでも、飛鳥時代以前において極めて重要な『神宮』だったことが窺える。

手水舎
石上神宮の主祭神は、

布都御魂大神~『記紀神話』にたびたび登場してくる布都御魂(ふつのみたま・韴霊)という神剣に宿る御霊威

布都斯魂大神~『記紀神話』素戔嗚命(スサノオ)が八俣の大蛇(やまたのおろち)を成敗したときに用いた天十握剣(あめのとつかのつるぎ)に宿られる御霊威。

布留御魂大神~天璽十種瑞宝(十種の神宝)に宿られる御霊威。
⇒天璽十種瑞宝とは、饒速日命が天津神から授けられた十種の神宝で、宮中で韴霊と共にお祀りされていたが、崇神天皇7年に①フツノミタマと共に現地、石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)に遷された。

・・・と、対象が剣や祭祀道具を御神体にしている。

ちなみに石上神宮には、かつて本殿が存在せず、拝殿奥の石上布留高庭を霊域(禁足地)とされ、その地に上に記した神剣や勾玉などを埋蔵していた。
その後、長い年月を経て明治時代にそれらが発掘され、境内に本殿を建築してそれらを奉ったという。

回廊前の参道
石上神宮(いそのかみじんぐう)

祭神
布都御魂(ふつのみたま)大神
布留御魂(ふるみたま)大神
布都斯御魂(ふつしみたま)神

配祀 宇摩志麻治(うましまじ)命、五十瓊敷(いに しき)命、白河天皇、市川臣

由緒
主祭神の布都御魂神は、また佐土(さじ)布都神ともいい、神代に武甕雷神がおびていた霊剣で、平国之剣( くにむけのたち)ともいわれる。

「記紀」によれば、神武天皇御東征の時に天降られ、邪神を破り、国々を平定された威徳により、物部氏の遠祖、宇摩志麻治命をして、宮中に奉斎された。
のち崇神天皇七年、物部の伊香色雄命が大臣の職にあった時、詔により天社(あまつやしろ)、国社(くにつやしろ)を定めて八百万神を祀らしめられて、布都御魂神と共に石上の高庭の地に祀られ、石上大神と称えたのが、石上神宮の創めである。

楼門
文保二年(1318)建立
物部氏が累代奉仕の任務につき、素盞鳴尊が八岐大蛇を退治された天羽斬剣(あめのはばきりのつるぎ)も祀られ、我が国の霊剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)を除き当宮に祀られることになった。
ついで五十瓊敷命が剣一千口を作り神庫(ほくら)に納め、さらに丹波国桑田村の人甕襲(みかそ)が八尺瓊(やさかにの)勾玉を献じ(「日本書記」垂仁天皇87年の条)「釈日本紀」に引く天書には、天日槍(あめのひぼこ)の所来の神宝も納められ「神宮」の称号と共に古代史上独歩の地位をしめていた。

下って平安時代末期にいたり、白河天皇の尊信あつく、永保元年(1081)鎮魂祭のために、宮中三殿の一つ、神嘉殿を拝殿に寄進され、神門を改めて、今日の機構に築造され、寛治6年(1092)上皇として親しく神宮に参詣された。

本社の称号は石上神宮・石上振神宮・石上布都御魂神社・石上布都大神・石上神社などと称され、また岩上大明神・布留大明神ともいわれ、略して布留社・石上社とも呼ばれた。
延喜式神明帳には、石上坐布都魂神社と見え、早くから官幣に預ったが、明治4年に改めて官幣大社に列し、同16年に、神宮号の復称が許された。

例祭並びに渡御祭は10月15日で、神剣渡御祭(でんでん祭)6月30日、榜示浚・鎮魂祭・玉の緒祭などの神事が古来から行なわれている。

拝殿
拝殿
永保元年(1081)白河天皇が鎮魂祭のために宮中の神嘉殿を移建せられたものと伝えられ、その構造は壮重雄健で、全国に現存する拝殿では最古のものである。
文明二年(1470)、貞享元年(1684)、享保十八年(1733)、元文五年(1740)、寛政十年(1798)、安政六年(1859)の修復、上葺等による棟札六枚と共に国宝に指定されている。

境内に放し飼いされているニワトリ
そして石上神宮といえば放し飼いにされているニワトリ。
約40年前(1970年代?)に当神宮に奉納されて、自然繁殖していったという。
にしても、立派な体をしたニワトリです。


次回は石上神宮の境内社(出雲建雄神社など)についてです♪
以下リンクを参照ください⇒http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/03/blog-post_15.html

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