奈良の社 春日大社 若宮十五社巡り

若宮十五社巡り

春日大社については以下リンクを参照ください
http://travelog-jpn.blogspot.jp/2012/03/blog-post_25.html

大宮・中門
境内の南側に伸びる御間道から奥の院道にかけての社叢に、「若宮十五社」と呼ばれる末社群が存在している。

若宮へ繋がる御間道
東西に走る本参道の賑わいが嘘のように、奥の院道周辺の末社群は静寂に包まれていて、神域であることを感じさせてくれる。
そして、この道は『山の辺の道』として山沿いを縫うように走り、御神山・三輪山の先にある海石榴市まで続いている歴史ロマンを想起させてくれる道なのである。

① 若宮
若宮神社の本殿は、保延元年(1125)創建、拝舎は治承二年(1178)創建された古社で、重要文化財に指定されている。

若宮神社
御祭神 天押雲根命
(春日大社の第三殿天児屋根命と第四殿比売神の御子神)
御由緒
若宮の御祭神は長保五年(1003)に御出現あそばされ、保延元年(1125)現在の地に祀られる、
「春日若宮おん祭」に際して、その一日のみ御旅所に御渡りになる。
鎌倉時代後期に描かれた絵巻物「春日権現記」(1309)にも現状と同種の建築物が描かれている。
拝舎の屋根の後端は神楽殿と一体となっている。

若宮神社本殿
「春日若宮おん祭」は、12月15~18日に執行される祭で、1136年折からの長雨のため全国に疫病や飢饉が蔓延し、これを鎮めるためにはじめられた祭典で平安時代より現在に至るまで絶えることなく奉仕され続けている、日本を代表するお祭のひとつです。

② 摂社本宮神社遥拝所
摂社本宮神社遥拝所
御祭神 武甕槌命、経津主命、天児屋根命
御由緒
御蓋山(みかさやま)は、太古より霊山を崇められる神奈備(神の鎮まり給う所)で、神護景雲二年(768)御本社第一殿の御祭神である武甕槌命が白鹿の背にお乗りになり頂上の浮雲峰に天降られた神様である。
毎月一日には、この所へ神饌を供し頂上の本宮神社を遥拝する。

③ 左: 兵主神社 ④右: 南宮神社
兵主神社(ひょうすじんじゃ) 御祭神 大己貴命
南宮神社 御祭神 金山彦命
尚、兵主神社の脇に三輪神社(祭神:少彦名命)が鎮座していたが、失念。

⑤左: 広瀬神社 ⑥右: 葛城神社
廣瀬神社 御祭神 倉稲魂神
葛城神社(懸橋社) 御祭神 一言主神

尚、中央には『赤乳白乳両神社遥拝所』の石碑がある。
ここから南手に約三キロ離れたところに末社赤乳神社・白乳神社が御鎮座されており、古来より、赤乳神社は女性の下半身、白乳神社は上半身を御守り下さる御神徳がございます。

・・・なのに、何故北側に遥拝所があるのだろう?

⑦ 三十八所神社
三十八所神社
御祭神 伊弉諾尊、伊弉冊尊、神日本磐余彦命

⑧ 佐良気神社
佐良気神社
御祭神 蛭子神様(えびす様)

⑨ 春日明神遥拝所
春日明神遥拝所
御祭神 春日皇大神
鎌倉時代に、この九個の石(居石~すえいし)の所から、明恵上人が春日大社本殿を遥拝された記録があります。
(原文) 明恵上人 明神を拝し 給ふ所と云・・・
『春日大宮若宮御祭禮図』(寛保二年)

奥の院道
ひっそりとした奥の院道。
木々に囲まれて、心が落ち着く。
そして木陰から神使である鹿が顔を出してくる。
とても可愛らしい。

⑩ 宗像神社
宗像神社
御祭神 市杵嶋姫命(天河弁才天)

⑪ 紀伊神社
紀伊神社
御祭神 五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命

近世「奥の院」と称されていました。
この御社の主祭神・五十猛命様は素盞鳴命様の御子神で、紀伊の国へ樹木の種をもたらした樹神とされています。

⑫ 伊勢神宮遥拝所
伊勢神宮遥拝所
御祭神 天照坐皇大御神(内宮)、豊受大御神(外宮)

境内の南端に御鎮座する当社の手前には、二つに割れた大石があります。
これは鎌倉時代の記録にも見られる「伊勢遥拝石」で、この間に向けばちょうど伊勢の神宮の方角にあたることから、遥かにお伊勢様をお参りする場所であります。
鎌倉以降盛んになる伊勢信仰の名残と思われますが、
もともとは磐座の一つとも考えられています。

龍王珠石
紀伊神社御殿西側の石群は龍王珠石といい、善女竜王が尾玉を納めた所と伝えられている。

大杦(おおすぎ)○蝠窟道
と書かれた石碑
紀伊神社の先に獣道があったので進んでみると、この石碑があった。
意味は分からぬが、忌み深い所縁があると嫌なので引き返した。

護摩壇
弘法大師(空海上人)が、護摩木を焚いて御祈願された所という。

⑬ 元春日 牧岡神社遥拝所
元春日 牧岡神社遥拝所
御祭神 天児屋根命、比売神
はるかに かはちのくに ひらおかを はいするよし
『春日大宮若宮御祭禮図』(寛保二年)

⑭ 金龍神社 禁裡殿
金龍神社 禁裡殿
御祭神 金龍大神

今から650年前、鎌倉幕府の零落による世の乱を嘆かれた後醍醐天皇は統幕を志されたが、事半ばにして幕府に露見。天皇は難を逃れて笠置へ落させられた。
これが元弘元年(1331)8月15日の世に言う元弘の変である。
この途次、天皇は春日社に潜幸され、一面の御鏡を奉安されて、天下泰平の御祈祷をあそばされた。これが金龍神社の起りである。
宮中(禁裡)の御鏡を奉安されたので、禁裡殿とも申し上げる。

上の称宜道
春日大社の敷地の昔から春日社の神官が住居を構えた所で、新薬師寺のある高畑町付近に繋がっている上の称宜道。
木々が生い茂っていて、趣きのある古道です。

謎のストーンサークル?
上の称宜道沿いにある石垣中心にはストーンサークルが存在していた。
ここはかつての古代祭祀場だったと、勝手に結論づけて春日大社の項はこれにて終了。

御間道に置かれている石燈籠
次回は春日大社の近くにひっそりと鎮座するお社です。

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