11 April 2012

奈良の社 姫皇子命神社と多神社の謎

Location 日本, 奈良県磯城郡田原本町多

笠縫周辺の町並み
今回は神社より頂いた『参拝の栞』から引用して、摂社の由緒、そして多神社の謎について紐解いていきたいと思います。

参拝の栞によると、多坐弥志理都比古神社は、
① 『東の三輪山と西の二上山を結ぶ線』(橙色の線)
② 『南の畝傍山と北の平城京・神功皇后陵を結ぶ線』(灰色の線)
③ 『香久山と耳成山の頂上、そして生駒山を結ぶ線』(紫色の線)
④ 『石上神宮と葛城山とを結ぶ線』(赤色の線~これは小生の創作)
と、①~④の八方がほぼクロスする位置に鎮座しているという。

多坐弥志理都比古神社周辺図の
詳細はココ
この地に鎮座した由来や時代背景の考察等については次の通りです。

多神社の場所は奈良盆地の中央にあたり、此処で祭祀を執り行れたと考えられる。また、神社周辺で出土される弥生式土器類が他の発掘地より浅い地下で出土している事実等から、当時の境内は中州の様に隆起した所であったと考えられる。
(地図における奈良池を参照・・・地図の精度はあまりないですが^^;)

忌人(いはれびと)となられた主祭神・神八井耳命は太陽神である天照大御神を祀っていたのであろう。東の山から出る太陽を仰ぎ祀り、西に沈む太陽に感謝を奉げる『太陽信仰』が往古執り行われていたと考えられる。
尚、弥生時代の頃は、暦は一般の民に浸透していなかったので、東の山から出る太陽の位置をもとに暦の糧として、祭祀を始め自分等の生活の基礎としていたと推測される。

笠縫周辺の町並み
現在、春の大例祭「おおれんぞ」(四月第三日曜日)にて、神恩奉謝・五穀豊穣の祭祀を執り行っているが、これより少し前四月の初めの頃、東の三輪山の山頂より太陽が昇る。
このとき、大和盆地の各集落の長が此処の地に集まり祭祀を営んでいたのだろう。これは現在の祭祀と同すると思える。
秋には秋の例祭がある九月の末、西の二上山の雄岳と雌岳との間に日が沈むこの時、秋の収穫祭祀が執り行われ、神八井耳命の末裔十九氏の一氏・多氏(意富氏とも)が代々祭祀を預かり、現在まで継続してきたのである。

また、神社の北に『元伊勢』笠縫邑跡があったこの地は、天照大御神を崇め奉り、神に仕えている巫女の集落だったという。
のちに移動する三輪の檜原神社、小夫の天神社へと笠縫邑は移り、最終地・伊勢神宮に移行していった。
(以上、多神社より頂いた「参拝の栞」から要約)


多の歴史
弥生時代前期~古墳時代後期 多遺跡
飛鳥時代 百済系渡来人多く住む(団栗山古墳)
太子道が多集落の西側を通る
奈良時代
下ツ道が多集落の東側を通る
平安時代中期
「和名妙」の十市郡飫富郡比定、延喜式神名帳に4社記載
延久二年(1070) 興福寺雑役免帳「本庄四町」
貞和三年(1347) 興福寺段銭段米帳に「多郷九町三反」
応永六年(1399) 興福寺段銭段米帳に「多郷九町三反」
永享元年(1429) 公方御下向段銭方引付に「多郷九丁三反四貫三百廿五文」
江戸時代~明治22年 十市郡多村
明治22年~昭和31年 磯城郡多村
昭和31年~現在 磯城郡田原本庁大字多
(田原本町観光協会)

姫皇子命神社社頭と多神社の社叢
さて、多神社には五社の境外摂社があり、そのうち四社が延喜式神名帳において、式内小社に比定されている。
姫皇子命神社は、多神社に行く途中にあ鎮座していたお社だったので参拝できたが、他の四社は勉強不足の為参拝できなかった・・・。


五社の境外社は、多神社の若宮として東方に姫皇子命神社、南方左に小社神社、右に皇子神命神社、西方に屋就神命神社が鎮座し、西南の方向橿原市飯高に祀る子部神社二座も多神社の若宮とされている。


姫皇子命神社
姫皇子命神社 (延喜式内社 旧城下郡 多) 
旧村社
祭神 多姫皇子命
由緒
多座彌志裡都比古神社の摂社で、『大和志』十市郡新廊の項に「姫皇子命神社 在=多社東一今称二鎮守」と比定され、延長五年(927)成立の延喜式神名帳に記載された古社である 。
神名帳十市郡大社の四王子神の一「姫皇子命神社」とされ、『大和志』に俗に鎮守と称し、現在大字多の氏神である。
『五郡神社記』にて本社二座と四皇子神を意富六所神社ともいった。
(境内案内板より)

また、『多神宮注進状』によれば、御祭神は『天媛火霊神者天疎向津少女命』と記されている。

姫皇子命神社 社殿
小社神社 (延喜式内社)
祭神 太安万侶 (古事記の編纂者)
由緒
元は木下神社(このしたじんじゃ)という社名で、かつては樹森神社とも云われていて、天児屋根命が祀られていた。(多神宮注進状より)
昭和十八年に現在の境内に拡張され、碑田阿礼を祀る売太神社(大和郡山市)と同じ社殿だったが、昭和三十六年の台風により拝殿が倒壊し、現在に至る。

姫皇子神社本殿
皇子神命神社 (延喜式内社)
祭神 皇子神命
地元では三ノ宮や産皇子神社と云われている。
尚、『多神宮注進状』に瓊瓊杵尊を祀ると記載されている。


屋就神命神社 (延喜式内社)
祭神 不祥
延喜式には多神社皇子神と有り、『多神宮注進状』には、日月神社という社号で、御祭神は豊御気津命・天明豊玉命と記されている。
又、『大和志』巻十五には“今称八剱神これ大神の皇子神なり”とある。


子部神社
別宮子部神社二座
橿原市飯高(元磯城郡平野村飯高)の里には二つの子部神社が存在する。
祭神は、『和州五郡神名帳注解』によると天穂日命・天津彦根命を祀るとあるが、『姓氏録』には火明命三世の孫、建刀米命(たけとめのみこと)が御祭神とも記されている。
さらに『多神宮注進状』によれば、祖神・神八井耳命六世の孫『すがる』という。

参拝の栞によれば、多神社祖神の末裔である小部連(むらじ)を主神と考えるのが妥当である、と記述している。

さて、姫皇子神社から多神社に向かう途中、桜園があった。
参道や敷地周囲も整備されていたので近づいてみると、こじんまりとしたお堂が建っていた。

多観音堂
多観音堂は明治の廃仏毀釈・神仏分離令までは多座彌志裡都比古神社の真言宗・神宮寺で、平安時代後期に作られたとされる本尊・十一面観音菩薩立像がある。(像高107.3cm)
(境内案内板より)

桜と多神社の社叢
この周辺の春の到来は、四月十日頃に三輪山の山頂から朝日が昇った頃を目安としているらしいが、美しい『サ』の神の降臨は、サクラ(サの庫)の開花やサナエ(早苗)の芽吹きによって感じることもできる。

長い歴史と多くの謎に満ち溢れている多神社。
次回参拝時は、周辺をのんびり散歩しながら出来ればいいな、と思った。


次回は、大和國の水神を祀る社について♪

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