奈良の社 『水神』 廣瀬神社

廣瀬神社
(奈良県北葛城郡河合町大字川合鎮座)

廣瀬神社は、大和川が曽我川や飛鳥川、竜田川等といった奈良盆地の四方へ分岐する分水界の位置に鎮座する古社。
『河相宮縁起』では、崇神天皇の時代に創建されたとされ、往古より『水神』として崇められており、生駒山地の南端の高台に位置する『風神』龍田大社と対となって篤く奉られている。

大和川と支流
JR法隆寺駅前にあるレンタサイクル屋で、自転車を借りて、のんびりサイクリング。
大和川の堤防沿いを走っていくこと約10分程で、廣瀬神社に到着できる。

社地西側にある太鼓橋

日本書紀では天武天皇の巻にて、廣瀬神社と龍田大社との関係ついて、次のように記されている。

『天武天皇四年(675)三月十日、
小紫美濃王・小錦下佐伯連広足を遣わして、風神を竜田の立野に祭らせた。
小錦中間人連大蓋・大山中曽禰連韓犬を遣わして、大忌神を広瀬の河原に祭らせた。』

その後、日本書紀では毎年のように『竜田・広瀬の神を祭る云々』等と書かれており、更に967年に施行された『延喜式』には、29種類記されている祝詞のうち、廣瀬大忌祭と龍田風神祭の祝詞が記されている。
以上の事からでも、この地はヤマト政権にとって重要な地と位置付けされていた事が推測できる。

一の鳥居
この『大忌祭』は現在でも、祭事の一部だった『砂かけ祭』として催行され続けている。
砂かけ祭は、「オンダ」とも称される御田植祭で、毎年二月十一日(陰暦正月十二日)に行われる神事で、砂を雨に見立ててかけ合い、五穀豊穣を祈る祭とのこと。
砂かけは『水かけ』と同じ意味を持つとされ、清め祓い豊かな実りを願う祭事だったという。

*砂かけ祭については
春日野奈良観光HP「砂かけ祭」をご参照ください。

参道脇の石

表参道
さて、境内の参道は長く延びて、境内社が点在している。
また、野焼きの煙と木々の間から差し込む太陽光が相まって、実に幻想的。

鎮守の森
鎮守の森からみた日光。
光のラインが八方に放たれて、森の中に差し込んでくる。
神々しい風景とは、まさにこういう事なのかな?
実に心地良い参道である。

二の鳥居
廣瀬神社
主神
若宇加能売命(わかうかのめのみこと)
相殿
櫛玉命(くしたまのみこと)・穂雷命(ほのいかづちのみこと)

主神・若宇加能売命(水の守り神)は、別名を豊宇気比売大神(伊勢外宮)・宇加之御魂神(稲荷神社)・廣瀬大忌神とも呼ばれ、龍田風神(龍田大社)と深い御縁があり、『大忌神』の異名を持つ。

拝殿
神徳
廣瀬神社の鎮座地は、日本書紀に「廣瀬乃河曲(かわはら)」、延喜式祝詞には「廣瀬の川合」と記載されており、佐保川・初瀬川・飛鳥川・葛城川・高田川等大和盆地を流れる総ての河川が一点に合流する地に祀られていることから、御主神は水の守り神で、山谷の悪水を良水に変え河川の氾濫を防ぐ神であり、風雨を調和し、苗稼を浸潤して、五穀の豊穣を守ることから、朝廷をはじめ万民の食物を守る御膳神である。
また、廣瀬神は、屋船豊受姫神とも呼び、家屋を鎮め奉る宅神で、養蚕をも守る神として、古来より崇敬が高い。

拝殿より本殿を眺める
創建
崇神天皇九年(前89年)、廣瀬の河合の里長に御神託があり、市やで沼地が陸地に変化し、橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建て祀られるようになる。
(当社『河相宮縁起』)

日本書紀天武天皇四年四月十日(675年)には、小錦仲間連大蓋を遣わし、大山中曽根連韓犬を斎主として、大忌神を廣瀬の河曲に祭られたことが記されていて、これが毎年四月四日と七月四日に行われた大忌祭の始まりと伝えられる。
その後、天武天皇以降歴代の天皇より、戦国時代に途絶えるまで、風雨の調和、年穀の豊穣等を御祈願され、国家の瑞祥、または禍害あるごとに奉告御祈願された。

本殿
社格
延喜式神名帳記載(式内社)明神大、月次、新嘗、朝廷奉幣二十二社の内の中七社の一社で、嵯峨天皇弘仁十三年八月三日従五位、白河天皇永保元年七月十日正一位を授けられ、明治四年五月十四日官幣大社となる。

社伝伝説
社伝『河相宮縁起』によると、社地は元水足池という広漠たる沼地であったのが、里長廣瀬臣藤時に御神託があり、俄(にわか)に陸地となり、一夜にして丈余の橘数千株が生じた。今拝殿西側に一小池があり、これを水足池という。
当社の社紋橘はこの社伝による。

天武天皇十三年七月当社行幸(御訪問という意)の砌(みぎり)、新たに廣瀬川(現大和川)に架橋して龍駕を奉迎したことから、この所を御幸瀬と称し、橋を御幸橋(みゆきはし)と名付けられた。

神社に伝わる絵図「和州廣瀬郡廣瀬大明神之圖」は室町時代に描かれたと推定されるが、この絵図には八町四方の四至に鳥居を建てた広壮な姿が描かれていて、本殿には三殿が並ぶ姿に描かれ、相殿に櫛玉比売命と穂雷命を祀っている。
現在は正徳元年(1711)に再建された一殿のみ。

神馬舎
その後、永正三年(1506)の戦乱により往時の建物灰塵に帰し、社領も豊臣秀吉に没収され衰頽したが、元禄年間に復興し、旧廣瀬郡の総氏神として広く崇敬をうけるようになった。

現在に残る最古の建物は、正徳元年(1711)に造営された本殿。
この本殿は一間社春日大床造の様式をよく伝えるものとして、昭和63年に奈良県指定文化財に指定された。
(以上、廣瀬大社 御記略及び境内案内より)

 
境内社は祓戸社(写真左)と、日吉社、稲荷社(日の丸稲荷)、そして祖霊社。
日吉社脇には三輪山遥拝所(写真右)もあった。
ほかにも、参道脇に寺内正毅陸軍大臣が奉納した日露戦争の戦利品(ロシア軍の大砲)も置かれていた。

境内
境内でのんびり日向ぼっこしているワンちゃん。
とても可愛い^^


次回は、風神の社・龍田大社です。

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