奈良の社 横大路の社 石園座多久虫玉神社(龍王宮)

石園座多久虫玉神社 
(奈良県大和高田市片塩町15-33鎮座)


鳥居と境内
高田市駅のすぐ傍に鎮座している石園座多久虫玉神社へ。
延喜式内大社に比定されており、元和二年には葛下郡の惣社とされている。

案内板の主祭神では建玉依彦命、建玉依姫命の二柱。
また、栞によると、多久虫玉命(またの名を天御食持神・手置帆負命)、建玉依比売の二柱を祀るとある。配祀されている豊玉比古命 豊玉比売命は水神。

主祭神の建玉依彦命とは、賀茂別雷神社(上賀茂神社)摂社・土師尾社や日吉大社摂社・樹下若宮に祀られる鴨玉依比古命のこととされる。

拝殿
さて、三輪山の麓から二上山までの東西を連なる古道を『横大路』といい、別名「伊勢街道」ともいう。
そして、石園座多久虫玉神社には、横大路に沿うように大神神社を「龍の頭」、当神社を「龍の胴」、当麻の長尾神社を「龍の尾」とする伝承がある。

さらに、記紀において、崇神天皇の巻に、
『墨坂(榛原)の神に赤楯矛を、大坂(二上山)の神に黒楯矛を奉り、国を安泰させた』
という記述もある。

扁額
以上のことから、『横大路』はとても重要な道路であり、さらに本神社もかつて第三代安寧天皇の皇都・皇片塩浮孔宮に推定されていることから、ヤマト王権時に於いて特別な地だったのであろう。

ちなみに、昭和20年代までは本神社の西側に砂子川が流れていて、祓戸橋という石橋が掛けられていたが、治水事業により埋め立てられてしまい、廃川跡は下街道という名の幹線道路となっている。

本殿
石園坐多久蟲玉神社(いわぞのにいますたくむしたまじんじゃ)
通称:龍王宮
祭神:建玉依彦命、建玉依姫命

石園坐多久蟲玉神社は、大和高田市唯一の延喜式内社。
祭神は建玉依彦命、建玉依姫命の二坐を祀る。
本社が安寧天皇片塩浮孔宮跡と伝承されるのは、近くの三倉堂池から発掘された土器・木棺・埴輪・七鈴鏡などにより、弥生時代に続く古代農耕の開拓神として、宮跡と神社の結びつきが考えられる。 この神社は、古くから龍王宮と称えられ近郷の信仰が厚い。

大和高田市教育委員会

絵馬
当神社は、第三代安寧天皇片塩浮穴宮跡といわれる浄池に祭祀され、第十代崇神天皇 の御勅祭に預る。

当社の御祭神は、神魂神の御子にして亦の名を多久虫玉命(新撰姓氏録・神祇志料)・天御食持神・手置帆負命(古史傳)とも申し、この三つの御名によって御神徳を拝し奉ることが出来ます。

天の御食持の大神は、五穀及び種々の野山の幸、又は衣食の事を司り給い、人の長寿を守り給ふ。手置帆負命は、宮殿を初め家造りや、諸種の器具を作り給いて、住居のことを守り給い、多久虫玉の大神はタクミの御魂、所謂心魂の活動と知識の事を守り給い、更に建玉依比売は和合・家業反映を守り給ふ神で、御高風優れ、人類総ては此の神の恩恵に洩れる者はありません。

御夫婦の神が同じ処に鎮まり給い、延喜の制には二座とも大社に列し、官幣に預かり給いし目出たきお社は世上稀であります。
(参拝の栞より)

境内社
静御前ゆかりの地~石園坐多久蟲玉神社 (龍王宮)
石園坐多久蟲玉神社 (龍王宮) は、延喜式神名帳に式内社「石園坐多久豆玉神社」と記されています。
かつてこのあたり一帯が礒野領でした。これより600mほど西に行くと、静御前の母礒野禅尼の故郷である礒野村(現在大和高田市礒野町)です。

白拍子となった静御前は、源義経に見初められ、やがて源頼朝に追われる身となります。
捕らわれ鎌倉に送られた静御前は、頼朝の妻政子の情けにより京に帰ることができますが、心疲れて病気になり、母の故郷である大和高田市礒野に帰ってきます。

静御前自ら病気平癒を祈った「笠神の杜」の明神さんは、現在この境内に移され祀られています。 短い生涯を終えた静御前の墓は、塚跡として礒野に残っています。
(境内案内板より)

鳥居の脇に棚引く鯉幟。
端午の節句ももうすぐですね~。

次回は横大路の終着地で竹之内街道の出発地に鎮座する古社です。

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