キノミヤを追いかけて 軽野神社 日本書紀・枯野船の社

軽野神社
(静岡県伊豆市天城湯ヶ島町松ヶ瀬79鎮座)

境内
今回は伊豆半島のほぼ中央を流れる狩野川沿いに鎮座する軽野神社について。
本神社は天城湯ヶ島町に鎮座している式内社で、日本書紀・応神天皇の巻にて登場している。

『応神天皇五年冬十月、伊豆國に命じて船を造らせた。
長さ十丈の船ができた。
ためしに海に浮かべると、
軽く浮かんで早く行き、まるで走るようであった。
その船を名付けて枯野(軽野)といった。』

拝殿
軽野(かのう)とは「軽快に走る造船」の意味があり、天城山中(過去は狩野山と呼称されていた)の木を伐り出して楠船が作られた歴史があると考えられる。
その形状は、いわゆる両脇に浮き木が取り付けられた『アウトリガー式カヌー』か、二隻の船を横に並べて固縛した『カタマラン式カヌー』だろうと言われている。
(谷川健一著 日本の地名より)

狩野=かのう(軽野)=カヌー

蛇足だが、明治11年に竣工した軍艦『天城』は、天城山(旧名:狩野山)の楠から作られたらしい。
また、狩野川の語源は軽野から由来しているといわれている。

本殿
さらに、三十一年秋八月では次の記載がある。
『伊豆の国から奉られた官船の枯野は今は朽ちてしまったので、船の材を取って、塩焼用の薪とすることにした。
船を塩の薪にして焼いた日に、あまりものの焼け残りがあった。
その燃えないのを不恩議に思って献上した。天皇は怪しんで琴を造らされた。その音はさやかで遠くまで響いた。

このとき、仁徳天皇が次のように歌った。

枯野を塩に焼き 其の余り、
琴に作り掻き弾くひ由良の門、
門中の海岩に触れ立つ
浸漬(なづ)の木の亮々(さやさや)

船の枯野で塩を焼き
その余りで琴をつくってかき鳴らすと、
由良のあたりの海峡の
隠れ岩に生えている
海草のような音色だ、さやさやと。
(現代風意訳)』

尚、古事記では、仁徳天皇の御代、兎寸河(大阪南部)の西に一本のとてつもなく高い木を切って枯野船を造ったとされている。
記紀での記述の相違に、何か特別な意味があるのかな?

石搭
軽野神社
鎮座地 天城湯ヶ島町松ヶ瀬79
御祭神 事代主命
例祭日 十月十九日

由緒
当社は延喜七年(907)の延喜式神名帳に軽野明神。
伊豆国神階帳(1330頃)正四位狩野明神とあり、応神天皇五年(275)伊豆国に造船を科した際の造船所とも、舟財を樹る山口祭斎行の場所とも云われる。
この神社は又、笠離明神・笠卸明神とも称され、古代この前を通る人々は神威を畏れて笠を卸し敬意を表したとためと云う、
延喜式神名帳伊豆國田方郡二十四座の一社で、明治六年二十ヶ村の郷社に列せられた。

境内社
軽野神社に残されている最古の棟札の一行目に「狩野介」と記されている。
これは当神社南方の丘陵地に平安時代後期より本拠を構えてこの地を治めていた豪族・狩野氏に与えられていた称号である。
「介」の称号は、当時全国で八家しか与えられなかったものであり、この棟札は、狩野氏の勢力の強大さを物語る貴重な資料である。

(以上、境内案内板より)

社殿後方には写真のとおり巨岩があり、その頂には小さな祠があるらしい。
現在は落盤防止のため、コンクリートで岩肌を補強しているのが少々残念。

2011年より断続的に行っていた伊豆の社巡りはこれにて一旦終了。
次回より、東海道の社~お伊勢参りを記していきたいと思います♪

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