駿河國一之宮 富士山本宮浅間大社

富士山本宮浅間大社
(静岡県富士宮市宮町1-1鎮座)


日本の象徴といえば、富士山。
四季折々の美しい山容を持ち、独立峰として悠々な姿をしているが、時には大噴火や山体崩壊による大規模土砂崩れといった人智を超えるほどの荒ぶる一面もあり、「可畏しこきもの」として多くの人々に崇められてきた。

富士山を御神体として崇める富士山信仰の中心地・浅間大社の歴史は古く、社伝によると、垂仁天皇三年(BC27年)、富士山麓の地に富士の神霊を鎮祭したのが創祀とされている。
その後、景行天皇の御代(71年~130年)、日本武尊が東征の際に、本神社の北東6キロ先の山宮(現:山宮浅間神社)に祭祀場を設けて浅間大神を祀り、延暦大噴火(800・802年)と呼ばれる富士山の大噴火の後、大同元年(806)に現在地へ遷座した。

石鳥居
平安時代末期には山岳仏教の影響を受けて、富士山は修験道の中心地とされ、多くの修行者が富士山の頂を目指し登拝していき、江戸時代には徳川家の寄進などにより社殿も造営され、さらに日本全国で『富士講』が組織されて、『お伊勢参り』とともに巡礼地として隆盛を極めた。

なお、富士山八合目以上は浅間大社の境内地であり、さらに頂上には奥宮、久須志神社の二社が鎮座しているが、共に浅間大社の奥宮である。

参道と輪橋
そんな富士山信仰の中心地ともいえる浅間大社は、全国1300社以上ある「浅間神社」の総本社。
実家の近所にも浅間神社や富士塚があり、子供の頃はよくそこで遊んでいたので、個人的にとても思い入れの強いお社である。
境内は、厳かで仰々しい雰囲気というよりも、心安らぐ穏やかな雰囲気。
写真は亀池に架かる輪橋。亀池は通称一名眼鏡池ともいわれている。

楼門
輪橋を越えると、立派な楼門が姿を現す。
楼門は慶長9年(1604)に徳川家康が奉賽のために、社殿同様に建てられたもの。

鉾立石
鉾立石とは、四月・十一月両度の大祭礼に山宮へ御神幸の際、鉾を立てた石のこと。
大祭礼については、次回山宮浅間神社の項に詳細を記します。


拝殿
富士山本宮浅間大社
御祭神
主神
木花之佐久夜毘賣命
配祀
天津日高日子番能邇々芸命、大山津見神

御由緒
人皇第七代孝霊天皇の御代、富士山が噴火し、人民が難散し国内が荒れ果てたので、第十一代垂仁天皇の御代に至り、 富士の神霊を山足(山麓)の地に鎮祭した。 これが浅間大社の創祀である。第十二代景行天皇の皇子日本武尊が東征の際、浅間大神の神助を畏み、山宮の地(現在地の 北方六キロ)に篤く大神を祭られた。 その後、平城天皇の大同元年(八〇六)坂上田村麿が勅命に依り、神霊を山宮より大宮(現在地)に遷し奉った。
以来実に一千百余年、全国一千三百余社に及ぶ浅間神社の総本宮として、全国的に篤い崇敬をあつめている東海最古の名社である。

古来、朝廷の尊崇極めて篤く、延喜の制では名神大社に列し、駿河国の一宮として崇められた。武家時代に入ってからは、源頼朝をはじめ、北条義時、武田信玄、同勝頼等の各武将は、それぞれ神領や神宝を献納して篤く崇敬した。
特に徳川家康は天下を平定した奉賛のため、慶長九年(一六〇四)に本殿以下の諸社殿を奉建し、更に富士山八合目以上を社地として寄進した。
本殿は二層の楼閣をなし、浅間造りと称し重要文化財に指定されている。
(境内案内板より)

残念ながら、小生が参詣時、参道石畳の拡張工事をおこなっていた_l ̄l○
まあ、こんな時もあるさ。。。

本殿(浅間造り)
拝殿後方にある本殿は「浅間造り」と呼ばれる独特の建築様式。
本殿が二階建のような建築となっており、楼門や拝殿などと同様に慶長9年(1604)の建立。

玉垣内本殿の両脇には御子神を祀る摂社の祠が鎮座していた。

左:摂社 三之宮淺間神社 御祭神 淺間第三御子神
右:摂社 七之宮淺間神社 御祭神 淺間第七御子神

湧玉池
湧玉池 (国指定特別天然記念物)
この池は霊峰富士の雪解けの水が溶岩の間から湧き出るもので水温は摂氏13度、湧水量は一秒間に3.6キロリットル(約二〇石)年中殆ど増減がありません。
昔から富士道者はこの池で身を清めて六根洗浄を唱えながら登山するならわしになっています。

つかふべき 数にをとらむ浅間なる
御手洗川の そこにわきたま
平 兼盛 (平安時代の歌人)

水屋神社は御井神・鳴雷神の二神を祀った境内社で、湧玉池の畔に社殿を構えている。
「富士山御霊水」と銘打たれて、近所の住民をはじめ、多くの方々がこの水を汲みにやってきていた。

境内にある磐座
この磐座は、天神社先の神域に鎮座していた。
他にも多くの奇石が神域内にあり、もしかしたら此処が過去の祭祀場だったのかな?と妄想。

実は浅間大社の前に、山宮浅間神社へ参拝しており、その神々しい佇まいと原始的風景に感動していたので、あまり心に強く響かなかったというのが、正直言った感想。
もっとも、境内が工事中だったことも影響しているかと思うが・・・。

村山浅間神社参拝時、もしくは奥宮(富士山)登拝時に再度参拝してみようと思う。

神田川と富士山
社地脇を流れる神田川と富士山。
夕日を浴びて、少し赤みがかった山容が一番印象に残った。

次回は、古代祭祀場の原形をとどめた磐境・山宮浅間神社です。

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