15 May 2012

駿河の社 倭文神社 星神と常世神の伝説

Location 日本, 静岡県富士宮市星山9
倭文神社
(静岡県富士宮市星山字坊地1鎮座)

石垣と鳥居
倭文神社は、延喜式神名帳で富士郡三座にひとつ、倭文神社に比定されている式内社。
鎮座地である星山集落は、富士山の西南、富士川の支流である潤井川の高台周辺にあり、神社の200メートル程北東には「月の輪上遺跡」(弥生時代後期後半のもの)を始めとした月の輪遺跡群があり、古代より長らく人々が居住してきた地域である。
ちなみに、倭文神社の祖といわれる社は、奈良県葛城市鎮座の葛木倭文座天羽雷命神社

富士宮の倭文神社には本殿がなく、磐境に一本の樹木が祀られている原始的な自然崇拝信仰。

境内
御祭神である倭文氏の祖神・健羽雷神(タケハツチ・建葉槌命とも書く)は、日本書紀の『葦原中国の平定』の項で登場する織物の神で、次のように記述されている。

『武甕槌神と経津主神の二神は邪神や草木・石に至るまで皆平定した。
しかし、従わないのは、星の神の香香背男だけとなった。
そこで、建葉槌命を遣わせて服させた。』

星の神・香香背男(カカセオ・別名天津甕星)の話は、駿河以外でも常陸国(有名などでも登場してくる夷神のことで、ヤマト政権に服従しない人々の事の総称だろう。
また、上記の『邪神』とはヤマト政権とは異なった土着信仰(縄文的信仰)のことだろうし、『草木や石』とは、磐座や神籬を御神体とした原始的な自然崇拝が色濃く残る地域のことを指すのではないか?とも思う。

拝殿裏の神域
さらに、日本書紀・皇極天皇三年(644)に、富士川流域に起った異教信仰の話が残されている。
富士川の畔にいた大生部の多が、村人にタチバナの樹についた虫を『常世の神』と称し、この神を祀る者は金持ちになり、長生きもすると流布した。
多くの人々がその言説にまどわされ、自分の財産をなげうってその虫を崇めた。
それを知って秦河勝は大いに怒り、大生部の多を討った。
そこで常世虫の信仰をひろめていた巫親(かんなぎ)達はおそれ、祀ることをやめたという。
「日本書紀」はその記事のあと注記して、「この虫は常にタチバナの樹に生る。或いは曼椒に生る。其の形養蚕に似れり」とある。
(参考:谷川健一著『日本の地名』)
神籬を祀る神域
分かり易く言い換えれば・・・
『富士川周辺の新興宗教家・大生部多が、「常世神教」を広めて、信者が反社会的行動をし始めたので、中央政府が取り締まった事件があった。』
・・・という感じ?
社伝の星神・香香背男を大生部多とし、健羽雷神を秦河勝と置き換えてみれば、しっくりとくるのではないか?と思うのだが、真相はいかに。

境内の御神石
倭文神社
祭神:健羽雷神
当神社は延喜式神名帳にある式内社で、又富士郡三座のひとつでもあり、日本最古唯一の織物・製紙の神である健羽雷神を奉斎する神社である。
旧社格は村社であったが、昭和三十五年十月一日、山神社、熊王山神社、第六天神社の三社を合併し十三級神社として認証された。

御神木の大杉
古代高天原時代、当地に星神として君臨して居た香々背男が、貫戸・岩本附近の神々を糾合して、中央政府に反乱を企てたので、経津主神と武甕槌命は健羽雷神を遣わしてこれを討滅せしめた。
以後、健羽雷神は、星山に永住し、織物製紙の業を興したので、諸神の崇敬を集め当神社に祀られた。
元来当地方には、藤、楮等が山野に自生しており、加えて清冽なる湧水も豊富であったので、かかる産業が必然的に発達する素地があったと解される。
今日富士地方は世界的に有名な紙の山地として知られているが、その起源は茲(ここ)に在るとされている。
(境内案内板より)

紅富士(の、ちょい前)
星山から見た富士山。
夕暮れ間際に参拝したので、裾野が紅く染まり始めていた。
古代の「常世の神」を信奉した民も、高台の鎮座地で同じ景色を見ていたのであろう。


次回は三保の松原にあるお社です。

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