駿河の社 草薙神社 日本武尊所縁の古社

草薙神社
(静岡市清水区草薙349鎮座)

草薙神社は、清水・日本平(有度丘陵)の北側に鎮座しており、『駿河国有度郡 草薙神社』として延喜式神名帳に記載されている古社であり、記紀神話・日本武尊ゆかりの地として名を馳せている。
また、例祭での龍勢煙火というロケット竹筒も有名である。
ちなみに、埼玉県秩父の椋神社も同様の龍勢花火があり、さらに日本武尊ゆかりの地と云われており、類似点が多い気がするが・・・それは考え過ぎかな?

草薙神社の創建は景行天皇五十三年(123年)。
息子であった日本武尊を偲ぶために、景行天皇が東国巡幸された際、当地に日本武尊を祀る社を建立し、御神体として日本武尊が手にしていた草薙剣を奉納したという。
その後、草薙剣は天武天皇の御世(686年)に愛知・熱田神宮に報祀され、現在に至る。

日本武尊像
初めて古事記を読んだとき、『日本武尊』について正直良い印象を持っていなかったが、彼の東征の道程になぞって所縁のある地を巡ってみると、実におもしろくてハマッてしまった・・・。
熊襲征討の道程を辿ることは不可能なので、せめて東国遠征の道程は歩んでいきたい。

尚、『日本武尊の東征のおはなし』については、神社の由緒に記載されていますが、後程まとめてアップしたいと思います。

参道
さて、石鳥居をくぐり、鬱蒼とした森の中の心地良い参道を進む。
光のシャワーが木々の葉を照らしていて、とても色鮮やか。
小高い高台を登りきった地に社殿が鎮座している。

隨神門
草薙神社
御祭神 日本武尊

御由緒
当社は式内延喜式神名帳に「駿河国有渡郡三座 並小 云々 草薙神社」と記載されている。
御祭神は景行天皇第二皇子日本武尊を御祀り申し上げて鎮座してあります。

拝殿
国史社伝によれば、尊は東国の蝦夷が叛いた(そむいた)ので、これを平定する為、吾嬬国(あづまのくに)に赴く途中、この辺りで逆賊起り原野に火を放って尊を焼き殺そうとしたので、尊は出発の折、伊勢神宮に参拝し倭姫命より戴いた佩用の剣を抜いて・・・

「遠かたや、しけきかもと、をやい鎌の」

と、鎌で打ち払う様に唱え、祓って剣を振り、あたりの草をことごとく薙ぎ払った処で手打ち石により火を付けた。その火は逆賊の方へ烟(けむり)なびいて、尊は無事にこの難を切り抜けられました。

その後佩用されていた天叢雲(あめのむらくも)の剣を草薙の剣と名称を変更になり、尚、尊を焼き殺そうとした時に草を払われた此処を草薙と言われる様になりと、語り伝えられている。

本殿
その後景行天皇が日本武尊の勲功の地を訪ねようと、五十三年八月に天皇は郡郷に詔(みことのり)して曰く、

「冀(こいねがう)は、日本武尊の征定された国郡を巡視する」

そこで天皇は直ちに出発せられ、まず伊勢に行幸され、次いで東国に向かわれ、九月二十日に当地に御着になり尊の奮斗の跡を封じて御親しく一社を建立し、日本武尊を奉祀し、御霊代として、草薙の剣を奉納されました。
景行天皇五十三年九月二十日を以て例祭日と定めて今日に及んでおります。
その後草薙の剣は第四十代天武天皇の朱鳥元年(686)に勅命により現在の熱田神宮に報祀されました。
(草薙神社参拝のしおりより)

御神木(大楠)
御神木の楠は樹齢1000余年、樹高15メートル、周囲20メートルある大木。
樹心は朽ちて外皮のみとなっているが、今尚枝葉は繫茂しており、樹木の逞しさを感じてしまう。

龍勢花火
神楽殿に飾られていた龍勢花火。
神門脇には江戸時代の打ち上げ花火筒が置かれていた。
龍勢花火の由来は、戦国時代の天文十二年(1543)、火縄銃と黒色火薬が伝来したのち、城攻め用の「火矢」から転じて「のろし」が考案され、のち駿府城と久能東照宮の守りとして、煙やロケットに布きれや旗などをくくった「昼のろし」(龍勢)と、光で合図した「夜のろし」(流星)の二種が用いられるようになったという。

その後、安政年間から草薙神社の例祭日に打ち上げが行われ、現代も続いている。

境内
緑深い境内はとても静かで、とても居心地良かった。
尚、清水区庵原には、式内社・駿河国廬原郡 久佐奈岐神社(くさなぎじんじゃ)が鎮座しており、更に日本平には久能東照宮もあるので、ぜひ再訪したいと思う。
(サッカー込みで。日本平の競技場は個人的に好きなのだが、応援チームの戦績が・・・><)

次回は、日本武尊所縁の社・焼津神社です。

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