遠江國一之宮 小國神社

小國神社
(静岡県周智郡森町一宮3956-1鎮座)


掛川駅から天竜浜名湖鉄道に乗車し、遠江一宮駅で下車。
駅から休日のみ小國神社行の無料送迎バスが出ている。
電車とバス中心の参拝方法を取るボクにとって、この施しは実にありがたい。
(注意:送迎バスの有無等については、神社に直接問い合わせて確認してください)

大鳥居
神社駐車場でバスを降りて大鳥居に進んでみると、多くの参拝客で賑わっていた。
周辺にこれといった観光名所等がないにも関わらず、多くの人々が行き交っている様を見ていると、地元遠州の方々に愛されているお社なのかな?と感じた。

鳥居はクリーム色で笠木のみ黒色に塗られている。青空に映えて美しい。

本参道
小國神社は遠江國一之宮で、社地より北6キロ先にある標高511メートルの本宮峯(本宮山)を御神体山とした古社で、山頂には奥宮として奥磐戸神社がある。
祭神は大己貴命(大国主命)。
尚、「小國(おくに)」の語源は、神社より頂いた略記によると、神を祀るきれいな場所・神聖な場所というらしく、古来より許麻知神社(願い事を待つという意味)、事任神社(願い事のままに叶うという意味)とも称されてきたという。

神幸所
参道は鬱蒼とした森の中にあり、神幸所や全国一宮等合殿社をはじめとした摂末社・境内社が置かれている。
又、伊邪那美命・事解男命・速玉男命の熊野三神を祀る並宮は、現在本殿玉垣内に鎮座しており、どうやら参拝は自由だったらしい。残念。

全国一宮等合殿社

並宮の鎮座地についてだが、明治時代の社殿火災以前は本殿玉垣内に鎮座し、並座を以て並宮と称し、祭典日・社殿の結構・祭典の四季に至るまで本社に準じていたが、炎上後は境内社の八王子社に合祀されていたが、昭和四十三年に旧社地に復興造営されたという。

二の鳥居
長い参道を歩いていくと、二の鳥居、そして拝殿が姿を現してきた。


小國神社 (おくにじんじゃ)
御祭神 大己貴命
須佐之男命の御子にして、父神の命により豊葦原の国を開発し、稲穂の稔る瑞穂の国に造り上げ、天孫に国土を奉った大功を称えて「大国主命」、「国作之大神」、「大穴牟遅神(おおなむじのかみ)」と称える。
また、「大物主神」、「宇都志国玉神(うつくしにたまのかみ)」、「大国玉神」とも称する。
さらに国中の悪神を平定せられたことから「葦原醜男命(あしはらのしこおのみこと)」、「八千矛命(やちほこのみこと)」とも申し、尊貴を称えて「大己貴命(おおなむちのみこと)」と申す。

拝殿
(参拝客の往来が激しかったが、何とか撮影できた)
御由来
創祀は神代と伝えられ、上代の事で詳らかではないが、延宝八年(1680)の社記によれば、人皇第二十九代欽明天皇の御代十六年(555)二月十八日に本宮峯(本宮山)にご神霊が出現し鎮齎せられた。後、山麓約6kmの現在地に都より勅使が差遣わせられ、社殿を造営し、正一位の神階を授けられた。
爾来、年々奉幣に預かり、文武天皇大宝元年(701)二月十八日に勅使が奉幣し、特に十二段の舞楽を奉奏せられた。

手前の建築物は舞殿
仁明天皇承知元年(840)に従五位下神階を授けられ(続日本後記)、清和天皇貞観に年(860)には従四位下、同十六年には従四位上を加えられ(日本三大実録)、第六十代醍醐天皇の延喜七年(907)に勅して社殿を改造せしまられ、延喜式内社に列せられた。

下って第九十六代後醍醐天皇の元弘・建武の変以来、勅使参向が絶え、神主が代わってその式を行い、戦乱が相次ぐ室町時代に至っても神事祭礼を欠く事なく奉仕し、朝野の崇敬が極めて篤く、近世に至る。

ひょうの木
元亀三年(1572)徳川氏の目代・武藤刑部氏定が武田信玄に味方し甲斐の軍勢を招き当社にそむいた時、神主・小國豊前重勝は霊夢に感じ、子息千松麻呂を人質として徳川氏に訴えた。

家康公は神主に命じてご神霊を別所に遷し、願文と山上小鍛冶宗近作の太刀を奉り、戦勝を祈願した後に、社頭に火を放ち全部の社殿を焼失した。
その後、徳川方が勝を得て、天正三年(1575)家康公は家臣本多重次に命じて、先ず本社を造営、遷宮させ、次いで同十一年(1583)十二月七日天下平定の奉賽として末社・拝殿・回廊を造営、同十三年楼門を再建させた。

その後明治六年國幣小社に列せられたが、明治十五年三月八日再度の火災に遇い、本殿以下悉く失ってしまった。官命により再建の事となり、明治十九年に完成。
終戦後は昔ながらに遠江國一宮として崇敬され、現在に至っている。(社記・党側実紀)
(以上、神社略記より)

静岡県神社庁発行の
御神木指定証?
さて、「縁結びの御神木」とされているひょうの木。
毎年不思議にもこの木の葉に「まゆ型」の穴のある「から」ができ、風が吹くと『ヒョウ』という音を出すので、ひょうの木というらしい。
又、御祭神の大己貴命が「ひょうの笛」にて女神を呼び、その心のこもった調子に女神が感銘して契りを交わしたと伝えられ、「縁結びの木」とも云われている。

次回は小國神社摂末社と美しい境内についてです♪

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