熱田神宮 熱田宮で禊祓い (と、草薙剣の変遷)

『伊勢への道』
熱田神宮
(愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1鎮座)

今回から『お伊勢参り』の道中で参拝してきたお社について綴っていきたいと思います。
当初の予定は大雲取~小雲取をトレックして熊野三社を中心に磐座巡りしようと計画を練っていたが、ある日気が変わって『お伊勢巡り』をしようと決しました。

正門大鳥居
まず真っ先に参じたのは、熱田神宮。
JR熱田駅から徒歩10分程度の場所に鎮座している。
境内は名古屋市の中心地にもかかわらず約19万平方メートルもの面積があり、数多くの巨木が生い茂って実に心地良い。
また、古来神宮の境内地のことを『雲見山・蓬莱島』(不老不死の理想郷)と呼ばれていた。
後程紹介する熱田神宮の境外摂社・氷上姉子神社の境内地周辺が『火上山・常世島』(あの世)という地名で、とても興味深い。

彼方の光が幻想的な参道
さて、熱田神宮を参拝していたときは、雨足が強くて、写真を一枚撮影する度にレンズを拭かなければならない程で、まるで『お伊勢参り』をする前に禊祓いをしているかのようだった。
きっと「熱田の宮で身を清めてから御参りに来なさい」と、天啓があった・・・という事にしておこう。

本宮前鳥居
本宮の御祭神は熱田大神で、三種の神器のひとつである草薙神剣を御神体としている。

三種の神器とは

①八咫鏡(やたのかがみ)
②八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
③草薙剣(別名天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)ともいう)

のことで、草薙剣については、記紀神話にてスサノオが八俣の大蛇を退治した際に、蛇の尾から出てきた剣。
当ブログ⇒八重垣神社を参照

その後、瓊瓊杵尊一行が天孫降臨の際に、天照大神から三種の神器を授けられて以降、歴代天皇が継承されてきた御神宝のことである。

本宮 拝殿
その後、草薙剣は第十二代景行天皇の皇子であった日本武尊の手に渡って東征し、大和國へ帰路の途中、尾張國で宮簀媛命と結婚した際に、神剣を尾張氏の本拠地・火上山に留め置かれたまま伊吹山の悪神を征討しに出発したが、山の神の祟りにあって病を患い伊勢國能褒野(のぼの)で亡くなってしまった。
そして日本武尊の没後、尊のお妃である宮簀媛命が熱田の地に神剣を奉斎したのが創建とされている。(景行天皇四十三年・113年)

外玉垣より
尚、宝剣・草薙剣の変遷をまとめると、以下の通り。


1.八岐大蛇 出雲 → 高天原
スサノオ → アマテラス
2.天孫降臨 高天原 → 日向 (→ 神武天皇東征時に大和へ?)
アマテラス → ニニギノミコト → 天皇の神宝
3.崇神天皇 大和 → 倭・笠縫邑 (→ 「元伊勢」各地へ)
崇神天皇 → 豊鍬入姫命
4.垂仁天皇 (「元伊勢」各地) → 伊勢
豊鍬入姫命 → 倭姫命
5.日本武尊 伊勢 → 熱田
倭姫命 → 日本武尊 → 宮簀媛命
(3の時に、本剣の分身を作製し宮中で祀るが、のちに壇ノ浦の戦いで水没。再製作して現在へ)

中重
熱田神宮
祭神 熱田大神
相殿 
天照大神 素戔嗚尊 日本武尊
宮簀媛命(みやすひめのみこと) 建稲種命(たけいなだだねのみこと)

由緒
熱田神宮の創祀は、三種の神器のひとつ「草薙神剣」の御鎮座により始まります。第十二代景行天皇の御代、日本武尊は御東征の後神剣を尊のお妃である宮簀媛命の御手許(緑区大高町氷上)に留め置かれたまま亀山市能褒野で亡くなられました。
後に宮簀媛命は、社地を熱田にお定めになり、神剣を奉斎されました。
(熱田神宮配布由緒書きより)
尚、本宮は明治26年までは尾張造りの社殿だったが、三種の神器奉斎の社であることから伊勢の神宮とほぼ同様の社殿配置・規模の神明造りに改築されたという。

本宮境内
御神体である草薙神剣は、神器とされているが故、たびたび危難に遭遇している。

天智天皇七年(668年)に新羅の僧・道行が熱田神宮の神剣を盗み、新羅に持ち帰ろうとしたが、乗船した船が難破して失敗し、宮中を戻されたものの、朱鳥元年(688年)に天武天皇が病に倒れ、これが神剣の祟りだということで熱田神宮に戻されたという話もある。

更に近年では、太平洋戦争中に戦火を逃れる(もしくはGHQによる徴収を免れる)ために、草薙剣を飛騨一宮水無神社に一時的に遷座したという話もある。

土用殿
神楽殿の北に位置する土用殿は、明治26年の本殿改修まで草薙神剣を奉安していた高倉式の御殿。旧本殿の東に相並んで鎮座していて、永正14年(1517)将軍足利義稙の造営と伝えられている。

清雪門
そして、清雪門は末社楠御前社の北東に位置し、かつての本宮の北門ともいわれている。
天智天皇七年(668)新羅の僧・道行が神剣を盗み出した時にこの門を通ったといわれ、以来不吉の門として忌まれたとも、神剣還座の際門を閉ざして再び皇居へ遷ることのないようにしたとも伝えられている。

左:龍神社 右:御田神社

本宮に続いて、本宮東側に鎮座している境内社について。

龍神社
祭神 吉備武彦命 大伴武日命
『日本書紀』には、景行天皇より日本武尊に遣わされた東征に従う神々としてその名が記されている。
御田神社
祭神 大年神
五穀豊穰の守護神。
この社の祈年・新嘗祭に奉る神饌は、まず烏に食べさせる信仰が残っており、祭員が「ホーホー」と烏を呼びながら、御供を土用殿の屋根の上に投げ上げる『烏喰の儀』が行われているという。

龍神社と御田神社周辺にあった楠の御神木。
雨露に濡れた樹皮や葉がとても活き活きとしている。

清水社
清水社
祭神 罔象女神(みずはのめのかみ)
社殿の奥に水が湧いていることから、「お清水さま」と呼ばれている。


次回は、境内に鎮座する別宮、及び境内社についてです。

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