5 June 2012

熱田神宮摂社 高座結御子神社 と、古の名古屋地形図

Location 日本, 愛知県名古屋市熱田区高蔵町9−9
伊勢への道
高座結御子神社
(名古屋市熱田区高蔵町6-9鎮座)
高座結御子神社は、熱田神宮の北1kmの位置に鎮座する明神大社で、熱田神宮の境外摂社のひとつである。
御祭神の高倉下命は、記紀にて神武東征の際、熊野の地で危機に直面した神武天皇一行に建御雷神の分身として韴霊剣を届けた神様のことで、尾張氏の遠祖ともいわれている。

詳細は当Blog⇒フツヌシ、経津主と、古事記での「布都御魂」にて

石鳥居
境内には高蔵貝塚や古墳群跡があり、高蔵貝塚は明治四十一年(1908)市電延長工事のときに発見されたもので、弥生中期の有彩立壺や彩文土器が出土し、彫刻のある馬骨、歯などが発掘された尾張地方の代表的な弥生古墳として有名。
また、古墳群は十五メートル級の古墳が四基あり、1300年前と推定されているが現在は児童遊園地となっている。
さらに近辺には白鳥御陵・陀武夫御墓があり、陀武夫御墓は日本武尊の妃・宮簀媛命の御墓と伝えられている。

海進7mだった場合の名古屋市
上図を見ると、かつて熱田神宮の周辺は崎のようになっていて、その突端が熱田神宮の鎮座地(蓬莱島・干崎)だった。そして、本神社の鎮座地は、神宮を塞ぐ『守衛所』的な位置に鎮座しているように思える。
また、次回UP予定の熱田神宮境外摂社である氷上姉子神社(火上山・常世島)も海岸線上にあり、三社が一直線で並んでいるのが実に興味深い。
氷上姉子神社が尾張氏東国平定の要、熱田神宮が祭祀の中心と考えるならば、高座結御子神社の鎮座地は、かつての居住地・寄合所のような地だったのかな?なんて想像。

神社の鎮座地から、古の歴史や地理を妄想してみる。
こういうのも神社巡りの楽しみ方のひとつですね。

御神木のクスノキ
話を戻して・・・
境内の末社は、鉾取社(祭神:鉾取神)、新宮社(祭神:素戔嗚尊)、御井社(祭神:御井神)、稲荷社(祭神:宇迦之御魂神)の四社があり、御井社の「井戸覗き」が有名な祭事という。
また、稲荷社は「太閤出生稲荷」「高蔵稲荷」と称されている。

社殿
境内は繁華街のある金山駅から数百メートルの地にあるとは思えない程広々としている。
とても静かで、かつ緑も多くて心地良い。

高座結御子神社 (たかくらむすびのみこじんじゃ)
御祭神
高倉下命(たかくらじのみこと)

由緒
当神社は昔から「高座さま」といわれ、御祭神の高倉下命は、熱田神宮の御祭神と共にこの地方開発の祖神として仰がれる一面、子育ての神様としての信仰が篤く、幼児の生育と虫封じとを祈願して十五歳までの期間『子預け(*祈願のこと)』をする習慣が、愛知県内はもとより東海地方一帯に広く知られています。

拝殿より

高倉下命は饒速日命の御子で、神武天皇東征に際し、韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ・石上神宮に祀る)を献上され大きな功績がありました。
高倉下の意味は高倉主、つまり字のしめすとおり霊剣を納めてある倉の主の意であります。

当神社の鎮座年代は不明ですが、熱田神宮が景行天皇の御代にすでに鎮座されておりますので、その時代か或は少し遅れて天武天皇の御代ともいわれ、延喜式神名帳の明神大社に列し、古くから熱田神宮と極めて深い結びつきをもった神社として、年毎に栄え信仰をあつめてまいりました。



境内は昔から高座の森として知られ、その面積は約3千坪、本社をはじめ鉾取・新宮・御井・稲荷社の各末社がまつられています。

本殿の構造は尾張造という特殊な形式でしたが、戦災のため本殿をはじめ諸施設すべて焼失しました。崇敬者の熱意によって昭和三十八年にその造営が完了、現在の本殿は元の尾張造を原型にしながら祭典・参拝に便利なように造営されたものであります。
(高座結御子神社の栞より)
*社伝によれば、織田信長が本殿を造営し、のちに蜂須賀氏が修造を加えたとある。

左:尾張連浜主歌碑 右:本殿脇の御神木

尾張連浜主歌碑
浜主は熱田神宮の社家で、仁明天皇の承和十二年(845)正月、103才の高齢をもって清涼殿において和風長寿楽を舞って御嘉賞を賜った。
その時に詠み答えた句は次の通り。

翁とて 侘やは居らむ 草も木も
栄ゆる時に 出でて舞ひてむ

・・・103才の真偽は別として、高齢で舞を踊るなんて本当にすごい!


次回は、もうひとつの熱田神宮境外摂社 火上山に鎮座する社です☆

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