熱田神宮摂社 『元熱田』 氷上姉子神社

伊勢への道
氷上姉子神社
(名古屋市緑区大高町火上山1-3鎮座)
氷上姉子神社は、JR大高駅から西方約1.5㎞の地にあり、火上山と呼ばれる小高い丘の麓に鎮座する古社。
大高駅からの道程は、細い路地が入り組んでいて、古くから存在している集落のような雰囲気。

氷上姉子神社の境内に向かう途中には少彦名命を祀る玉根社があり、さらに境外社として大高城址の麓に火上老婆靈(ひかみうばのみたま)を祭神とする朝苧社(あさおしゃ)が鎮座していたらしいが、残念ながら朝苧社については参拝できなかった・・・。

木鳥居
栞によると、鎮座地は大高町火上山だったが、昔は「火高火上(ほだかひかみ)」と称していた。ところが神社や大高の民家がたびたび火による災害を蒙っていたので、それまでの地名から火の字を忌んで、大高氷上と改めたという。
『ほだかひかみ』の「ほだか」からは尾張氏=安曇(穂高)が連想でき、「ひかみ」からは、斐川・氷川・簸川といった出雲との関連を想起することができるのだが、知識が脆弱なのでこれ以上は書けない。
(「火上」を金属生産の地とする説もあるらしい)
ただし、個人的には本神社の立地的に考えて、「火上」とは蓬莱島(熱田神宮・高座結御子神社)方面へ烽火(のろし)を上げる前線基地という意味なのかな?とも思っているが。
前号:高座結御子神社~古代の名古屋海進妄想図参照

玉根社
また、姉子については「夫を失った乙女」という意味があるらしく、さらに『尾張国熱田神宮縁起』に、日本武尊が御東征の帰路、甲斐国の酒折宮で宮簀媛命を恋い偲んで次のような御歌を詠んだという。

『年魚市潟(あゆちがた) 火上姉子は 我れ来むと
床去るらむや あはれ姉子を』

氷上姉子神社(ひかみあねごじんじゃ)
御祭神
宮簀媛命

由緒
熱田神宮摂社氷上姉子神社は、名古屋市緑区大高町火上山に鎮座する古社で、昔から「お氷上さん」と親しく呼ばれ、尾張氏の祖神として、地元はもとより、広く当地方一円の限りない崇敬と信仰を集めています。
当社は、古代尾張の開拓神であった天火明命の子孫で、当時の尾張国造(現在の地方長官)として、火上の地を本拠としていた乎止与命(おとよのみこと)の館跡(現在の火上山山頂近くの元宮の地)に、宮簀媛命を御祭神として仲哀天皇四年(195)に創建された由緒深い神社です。

拝殿
御祭神の宮簀媛命は乎止与命の娘で、古代随一の英雄と讃えられる日本武尊が、東国平定からの帰途この地に留まられた際に結婚され、尊の薨去後は神剣・草薙神剣と奉斎守護して、やがて熱田神宮御創祀への貴い道を開かれた方であります。
このお社は持統天皇四年(690)に、火上山の麓の現在地に遷座になり、尾張氏をはじめ多くの人々の崇敬を受けながら、約1800年の歴史と共に今日に至っています。旧社地には本宮が鎮祭され、宮簀媛命の館跡として、又当社の創祀を語る地として、大切にされてきました。

その後、醍醐天皇の延長五年(927)に編纂された『延喜式』には、火上姉子神社と記載され、又貞治三年(1364)の『尾張国内神名牒』にも従一位氷上姉子天神とあって、古くから格式の尊いお社だったことがわかります。
現在の御本殿は、明治二十六年の熱田神宮御改造の時までの別宮八剣宮の御本殿を、当社へ移築した由緒の深い建造物です。

倭姫命より草薙神剣を授かった日本武尊は、乎止与命の子・建稲種命(たけいなだねのみこと)を一軍の将として従え、東国平定の大業を終えた後、信濃から尾張へ帰還し、遠征の疲れを癒すため、火上の里の館(氷上姉子神社)に留まって、そこで宮簀媛命と結ばれた。
ところが休息する間もなく、近江国伊吹山に賊ありと聞かれ、その賊徒平定のため神剣を媛にあずけて、その地へ向かったが病を得て伊勢國能褒野で亡くなってしまった。

氷上姉子神社 境内
孃女(おとめ)の床の辺に
わが置きし剣の太刀 その太刀 はや

(姫の床のあたりに わたしが置いて来た太刀。ああ、あの太刀は・・・)
深く神剣のことを心に留められた尊のこの最後の絶唱には、宮簀媛命への思いが溢れている。
ここにおいて宮簀媛命は、遺された草薙神剣の霊威を畏まれ、これに安置して奉仕い務められたが、その後吾湯市(あゆち・尾張国愛知郡の古称)の熱田の地に社を建て、これに神剣を移して奉仕の生涯を奉げられた。
その御生涯は、熱田神宮御創祀に連なる道を、一身に捧げて開かれたと云うことが出来る。
(以上、氷上姉子神社の栞より)

火上山と大高斎田
神社の参道の向かい側には火上山、そして大高斎田がある。
大高斎田は昭和七年に設定され、収穫されたお米は熱田神宮の祭典用神饌として本宮以下各社に供えられる。
ちなみに、斎田付近の住所名は『常世島』(あの世という意)
周囲には追風、取手山、斎山等々・・・と、意味ありげな地名(現在の地名)が数多くある。

元宮参道
そして火上山には尾張国造・乎止与命(おとよのみこと)の館跡、そして氷上姉子神社の元宮があり、『元熱田』とも称されており、現在は山の中腹に天照大神を祀る神明社、そして山頂付近には元宮が鎮座している。

栞によると、火上山はかつて「火上の地を本拠」した尾張国造の館云々とあることから、かつての東国平定の前線基地的意味合いがあったように思われる。
『火上』という名自体、烽火(のろし)を上げているという意味だろうし、湾と陸を一望できた高台の上にあることから討伐及び『まつろわぬ神』の対する防衛の要だったのはないのかな?と感じた。

そもそも『尾張(おわり)』という地名もヤマト政権支配下の「終わりの地」という意味だったかもしれないし・・・。

神明社
そうでなければ、日本武尊が東国平定の行き帰りにわざわざ立ち寄って、大切な神剣を置いていくような行為はしなかっただろうに・・・。


次回は、尾張国一宮についてです♪

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