19 June 2012

美濃の古社 伊奈波神社

Location 日本, 岐阜県岐阜市伊奈波通1丁目1
伊勢への道
伊奈波神社
(岐阜県岐阜市伊奈波通り1-1鎮座)

南宮大社に続いては、美濃國三宮 伊奈波神社。
JR岐阜駅からバスで10分(伊奈波通りバス停で下車)、徒歩5分程の場所に鎮座している。

本神社は稲葉山の一角、丸山の山頂附近に五十瓊敷入彦を祀ったことが創建とされており、旧社地には伊奈波大神を祀る丸山神社があり、現在も石基と六尺周囲一丈余りの烏帽子岩が存在している。
また、延喜式内社『物部神社』の論社ともされている。

大鳥居と善光寺
神社の鳥居前には善光寺があり、上り坂の参道の先に伊奈波神社が坐しており、山に囲まれた境内は、とても市街地とは思えない幽玄な雰囲気が漂っている。

主祭神の五十瓊敷入彦は垂仁天皇の長男で景行天皇の兄。

日本書紀によると、垂仁天皇は兄王・五十瓊敷彦命と大足彦命(のちの景行天皇)を呼び、
『おまえたち、それぞれ欲しいものを述べよ』
と尋ねられた。
兄王・五十瓊敷彦命は『弓が欲しいです』
弟王は『天皇の位が欲しいです』
と答え、天皇は弓矢を五十瓊敷彦命に賜り、大足彦命には「お前は必ず我が位を継げ」と仰せられた。

参道
その後、五十瓊敷入彦は河内国に高石池・茅渟池を造り、のちに大和国の狭城池、迹見池を造って、国内の農事・灌漑事業に大きく寄与した。
さらに、茅渟の菟砥の川上宮で剣一千キロを造らせ、忍坂邑に納めた後、忍坂から移して石上神宮に納めた、といった記述があるとおり、日本の発展に大きく寄与された名臣ともいえる。

また、相殿で祀られている母・日葉酢媛命は垂仁天皇の皇后で、日本書紀によれば開化天皇の子孫で丹波国道主王の娘。(垂仁天皇の巻は色々興味深いお話が多いのですが、ここで紹介すると収集がつかなくなるので割愛します・・・)
神橋と楼門
伊奈波神社の参道はとても趣深く、雨も相まってか、とても幻想的。
静寂とした境内は「神域」と呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出している。
階段の先にある楼門、そして境内社の造りも実に美しい。
ボクは目前にあった境内の佇まいにただただ感嘆するばかり・・・。

楼門
伊奈波神社
主祭神
五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと) 垂仁天皇の長男
配祀
淳熨斗媛命(ぬのしひめのみこと) 主神の妃君
日葉酢媛命(ひばすひめのみこと) 主神の母君
彦多都彦命(ひこたつひこのみこと) 主神の外祖父
物部十千根命(もののべのとちねのみこと) 主神の功臣

神門から拝殿を望む
由緒
先ずお祀りされている神さまは、五十瓊敷入彦命と申し上げ、第十一代垂仁天皇の長男で、第十二代景行天皇の兄にあたり、古事記、日本書紀にもその事蹟が記載され、父垂仁天皇から弓矢を賜り武事をおさめ、また、勅命によって河内、大和、摂津、美濃など諸国に開拓された地溝の数は実に八百に及び、このため諸国の産業は勃興し、農事は豊かになって天下は泰平であったと記している。
更に茅渟の川上宮にて剱一千口を創り、これを石上神宮に納めて有事に備えられた。今でいえば内政、土木、軍事等あらゆる面で活躍されたといえましょう。

薨去の翌年(景行天皇十四年)命のご偉徳を偲び、現在の丸山の地に鎮齎申し上げたのが始まりで、それ以来1900年に亘り、「心のふるさと」として親しまれている。
天文八年(1539)斎藤道三が稲葉山を居城とするにあたり、現在の地に遷し奉った。
昭和十四年十一月一日國幣小社に列せられる。

拝殿内
我々の祖先は揖斐・長良・木曽の三大川に恵まれ水の恩恵に浴したものの一方では、洪水に悩まされ洪水から守り稔り豊かな土地にすることが、土地を治める者の務めであり、「水を制する者は天下を制す」との諺があるように、水を制するには金を以て当てるというのが陰陽五行の信仰であり、この地方は特に金、水に関する地名も多く伊奈波神社は水を防ぐ信仰の社でもあった。
(伊奈波神社略由緒より)

境内
次回も引き続き伊奈波神社、そして周辺のお社についてです。


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