東京湾の社 上総の古社 島穴神社

東京湾の古社
島穴神社
(千葉県市原市島野1129鎮座)

社叢
JR姉ヶ崎駅(もしくは五井駅)から路線バスに乗って白塚バス停で下車(約15分程)。その後近くに流れている前川沿いを歩いていくと島穴神社が見えてくる。
社叢の手前に広がる田園は島穴神社の神饌田とのこと。
長閑な風景に心が安らぐ。

一の鳥居
境内へ続く参道は長く一直線に伸びていて、一の鳥居も新しいものに付け替えられた模様。
島穴神社は、安房国と上総国とを結ぶ官道に建てられたお社で、創建は景行天皇40年という。
御祭神は志那都比古尊で、姉埼神社の祭神 支那斗弁命の弟神(もしくは夫神)。
また、景行天皇が行幸の際、日本武尊と倭比売尊を合祀したと由緒に書かれている。

神橋
尚、本神社は延喜式神名帳に『上総国海上郡 嶋穴神社』と記されている式内社で旧県社。かつては嶌穴神社という表記だった時期もあったらしい。

一の鳥居を撮影後、神橋から神社へ向かおうとした瞬間、バケツをひっくりかえしたようなゲリラ豪雨・・・。よって暫くの間、木陰で雨宿り。

宮之橋
少し小降りになったところで、前川を渡って急ぎ足で境内に向かう。
神社手前の川に架かっている石橋は、宮之橋といい、大正八年建設。

社頭
境内まで辿り着いたが、雨足が更に増したので、社務所(集会所?)でまたも雨宿り・・・。
雨が止み再び太陽が雲の合間から顔を出すと、社殿や木々、路面が光の反射で艶っぽく見えてとても幻想的。

島穴神社
御祭神
志那都比古尊 (しなつひこのみこと)
日本武尊、倭比売尊

拝殿
当宮は「延喜式」所載の上総五社の内の一社であり、古くからこの地方の格式ある名社として崇められてまいりました。

今からおよそ1800年前の景行天皇四十年(114年)日本武尊が東征のみぎり、相模国走水より上総国へ航行中にわかに暴風に遇われあやうく船が覆りそうになった時、同乗されていた妃君の弟橘姫命が大和国の風鎮めの神・龍田大社を遙かに拝み、

『安全に上総国まで航行させてくれるならば必ずその地に風鎮めの神を祭り、報恩感謝の誠を尽くします』

と祈りながら海中に身を投せられました。

本殿
するとたちまち暴風は止み、無事上総国へ着くことができたので、日本武尊は、弟橘姫命のご遺志の通りこの地に志那都比古尊を祭る当宮をご創祀されたのであります。
のち景行天皇が当地へ行幸の折(127年)日本武尊、倭比売尊を合祀されました。

また、陽成天皇八年(884)には朝廷より正五位上の神階を授けられ、下って明治十二年には千葉県の県社に列格されたのであります。
(境内案内板より)

左:第六天神社 右:浅間神社

左の第六天神社は、面足尊(おもだるみこと)・惶根尊(かしこねみこと)を祀る社。
第六天神社とは、元々は神仏習合の時代に第六天魔王(他化自在天)を祀る神社として創建されたものであるが、明治の神仏分離の際、多くの第六天神社がその社名から神世七代の六代目の面足命・惶根命に祭神を変更したという。
右の浅間神社は木花咲耶姫命が祭神で、鳥居の先には富士塚がある。

富士塚
浅間神社の富士塚は雨に濡れたせいか、とても幽玄な雰囲気。
(夜独りだったら、怖いかも・・・)
その他天神社、八雲神社、疱瘡神社、祓神(道祖神)等が境内に祀られている。

左:御神木「いちょう」 右:「おがたまの木」

左の木は御神木のいちょうで、天保年間編纂の「房総三州漫録」には、
『島穴神社の社内にあり、その木は朽ちて皮のみ存したが、別れて一本宛の木となれり』
と記されている。
対して右の木は「おがたまの木」で、案内板によると、「神代の昔、天の岩戸開きの時、アメノウズメノミコトがこの木の枝を以て舞った」と伝えられる。

境内から離れると、鮮やかな夏の青空が再び顔を出していた。
と同時に、ゲリラ豪雨の物凄さを体験することができたお社巡りでした。

次回は、蘇我に坐す古社についてです。

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