12 July 2012

東京湾の社 下総の古社 二宮神社

Location Japan, Chiba Prefecture Funabashi三山5丁目20−1
二宮神社
(千葉県船橋市三山五丁目20-1鎮座)

二宮神社は船橋に鎮座する神社で、JR総武線津田沼駅からバスで15分程度走った場所に鎮座しており、習志野駐屯地の近くにある。
当社は、延喜式内社『千葉郡 寒川神社』と比定されており、古くより近隣二十三村(現在の船橋東部。千葉市西部・習志野市・八千代市)の総鎮守とされ、近隣の崇敬が篤いお社である。

一の鳥居
社前の雰囲気。
一本道の参道、そして鬱蒼と茂る森がとても印象的。
尚、鳥居の脇には大きな石が坐していた。
本神社は弘仁年間(810~824)に嵯峨天皇の勅命により創建されたといい、以降「寒川神社二宮大明神」と称されてきたという。

左:二宮神社参道 右:お舟流しのすすき舟

参道を進むと谷になっており、一旦下って小川を渡り、再度登らなくてはならない珍しい構造。
この小川は毎年7月15日に開催される「お舟流し」という行事で使用されている。

お舟流し
御手洗池の細流にすすきの舟を浮かべて流す行事です。当社に合祀されている藤原時平の子孫、師経等の乗舟は暮の11月13日にこの地に到着し、その一部の人々は翌年の7月15日にこの地から帰ったといわれており、それがお舟流しの行事となりました。

尚、谷底の小川の水脈は習志野市の津田沼に鎮座している菊田神社境内(次回紹介)にある池へとつながっていると言われているという。

小川を渡り参道を進むと、登り坂。
鳥居の先に見える社殿の面持ちがとても美しい。
御祭神は建速須佐之男命を主祭神とし、櫛稲田比売命、大國主命といった出雲神に併せて藤原時平命を祀っている。
また、明治時代に近隣の若宮八幡神社(大雀命)、及び当社の摂社だった阿波八幡大神(誉田別尊)を御本社へ合祀した。

拝殿
二宮神社
御祭神
建速須佐之男命、櫛稲田比売命、大國主命、藤原時平命、
大雀命、誉田別命

本殿
由緒
当社の儀は弘仁年間(西暦810年代)、嵯峨天皇の勅創に係り古来寒川神社二宮大明神と総称す。往昔より近郷二十三村の総鎮守にして、丑未七年目毎に二宮神社外八神社の神輿を会し大祭を執行す。
治承四年(1180)、藤原師経当国へ左遷の際、同人及び神官と協議して左大臣藤原時平公を本社の相殿に合祀す。

扁額と神紋
慶長年中、東照宮上総国東金へ御成りの砌り、御参詣の際に御墨印を寄せられ、二代将軍秀忠公より御朱印御寄附、三代将軍家光公より御朱印を以て下総國千葉郡三上村に於いて御神領十石御奉献、その後貞享元年神官宅火災の砌り御朱印焼失したが、翌二年六月十四日五代将軍綱吉公より御朱印前々の通り御社領の寄附あり。
(現在の御社殿は安永年間再造営せるものなり)

明治四十三年十二月十六日、千葉郡二宮村の無格社若宮八幡神社(大雀命)、摂社阿波八幡大神(誉田別尊)を御本社へ合祀す。
(参拝の栞より)

二の鳥居と御神木
二の鳥居の脇にある巨木は、御神木の大イチョウ。
樹高24.5メートル、幹回り4.5メートル。
冒頭で、『近隣二十三村(現在の船橋東部。千葉市西部・習志野市・八千代市)の総鎮守』と記したが、本神社を中心に『下総三山の七年祭り』と呼ばれる大規模な御祭が開催されている。

御神木の樹勢溢れる根と拝殿

下総三山の七年祭り
船橋市・千葉市・習志野市・八千代市の九つの神社が集まる下総地方を代表する寄合祭。
6年毎の丑年と未年に行われ、数え年で7年になることから、『七年祭り』と呼ばれている。
起源には室町時代の千葉一族、馬加康胤に纏わる安産祈願と安産御礼の故事に由来する説が有力とされている。
大祭では全ての神社の神輿が勢ぞろいし、七曲りと呼ばれる道を通って二宮神社に向かい、昇殿して参拝する。
各神社の中には、菊田神社(習志野市津田沼)といった社も参加する大規模なもの。
(境内案内板より要約)

境内から出た先にあった祠。
脇には風化して読めなくなった石碑があり、お供え物がされていて祠同様に丁重に扱われていた。

社殿
重厚な造りの社殿は、現在の社殿は安永年間(1772年〜81年)に再建されたもの。
広々として手入れの行き届いた境内はとても心地良く、地元に愛されてきた古社であることを感じることができた。

次回は、同じ津田沼に鎮座する二宮神社と関係深いお社についてです♪

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