東京湾の社 「八幡の藪知らず」 不知八幡森

不知森神社
(千葉県市川市八幡2-8-13鎮座)

『東京湾の古社』シリーズの最後は、『八幡の藪知らず』で知られる不知森神社。
JR本八幡駅のすぐそば、国道14号線沿いの繁華街の一角が鬱蒼とした竹藪で覆われている。
由緒や歴史については以下の案内板に記載されているが、都心に程近い地で、このような伝承が守り継がれていることが実に興味深い。


不知八幡森(通称八幡の藪知らず)

江戸時代に書かれた地誌や紀行文の多くが、八幡では「藪知らず」のことを載せています。
そして一様に、この藪知らずは禁足地、一度入ったら出て来られない所、入れば必ず祟りがあると恐れられた所として記載され、「諸国に聞こえて名高き所なり」と言われて全国的に知られていました。

入っていけない理由については、
・最初に八幡宮を勧請した旧地である。
・日本武尊が陣所とされた跡である。
・貴人の古墳跡である。
・平将門平定のおり、平貞盛が八門遁甲の陣を敷き、死門の一角を残したので、この地に入ると必ず祟りがある。
・平将門の家臣六人が、この地で泥人形になった。

・・・と、色々言われてきました。

中でも万治年間(1658~1661)、水戸黄門(徳川光圀)が藪に入り神の怒りに触れたという話が、後に錦絵となって広まりました。
ちなみに「万治」といえば、諏訪にある万治の石仏
ヘンテコな時代だったのですねー。


「藪知らず」に立ち入ってはならないという本当の理由が忘れ去られたため、色々とと取沙汰されてきたものではないでしょうか。
また、理由のひとつとして、「藪知らず」が、「放生池」の跡地であったではないかとも考えられます。



古代から八幡宮の行事に「放生会」があり、放生会には生きた魚を放すため、池や森が必要で、その場所を「放生池」と呼びました。藪知らずの中央が凹んでいることからすると、これは放生池の跡であるという可能性が十分に考えられます。


市川市周辺地域は中世には千葉氏の支配下にありましたが、千葉氏の内紛で荒廃し、八幡宮の放生会の行事が途絶えてしまい、放生池には『入ってはならぬ』ということのみが伝えられてきたことから、以上のような話が作られていったものと思われます。

不知八幡森の碑は安政四年(1857)春、江戸の伊勢谷宇兵衛が建てたものです。
(以上、案内板より)

以上で、東京湾の古社シリーズは一旦終了です♪



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