北アルプスの社 信濃国三之宮 沙田神社

沙田神社
(長野県松本市島立三ノ宮3316鎮座)

鳥居
沙田神社(いさごだじんじゃ)は、松本市の西側三ノ宮の集落に位置する神社。
参道は近くを流れる奈良井川から一直線に伸び、本殿も奈良井川を眺めるかのように、東向きに鎮座している。

神楽殿
本神社は延喜式神名帳にて、信濃国筑摩郡沙田神社に比定されており、信濃国三之宮ともされている。
住宅地に囲まれているが、参道は長く伸びており、境内の雰囲気もとても落ち着く。

本神社の旧社地は波田村地籍鷺沢嶽(現:松本市波田町)という地だった。
波田町鷺沢は梓川の南側にある白山の麓に位置しており、現在はその地に奥社が鎮座している。



御祭神は彦火々見尊、豊玉姫命、沙土煮命三柱の神を祀るが、主祭神は豊玉姫命とのこと。
沙土煮命とは神代七代の神で、泥土煮尊の妻神。
(古事記では、須比智迩神)
土を煮て沙(砂)が出たという御名から「製塩の神様」と言われているらしい。

本殿
信州三之宮式内 沙田神社略記
沙田神社
祭神
彦火々見尊 (ひこほでみのみこと)
豊玉姫命 (とよたまひめのみこと)
沙土煮命 (すいじにのみこと)

扁額
由緒
孝徳天皇の御代、大化五年六月二十八日(西暦649年)、この国の国司が勅命を奉じ初めて勧請し、幣帛を捧げて以て祭祀した。
その後、大同年間(806~810)に坂上田村麻呂が有明山の妖賊(八面大王)征伐にあたり、『本社の御神力の効する所なり』として国司とともに社殿を造営する。
文徳天皇の仁寿元年(851)勅評を蒙って社殿の造営があり、同三年二条大納言有季を勅使として神位を賜る。

その後、元享正中の交(1324年頃)天下は南北朝時代に入り、蝦夷大乱などもあり大いに乱れ、当社も遂に本殿を除く建物が悉く焼失してしまった為、現在地の島立右近に神社を遷座した。

境内社
以降、代々の領主のみならず、松本城主小笠原政長からは実に七十余町を寄附し神領として七十石を給せられ、更に歴代の城主より篤く奉られ、松本城裏鬼門の守護神とされた。

明治五年郷社に列し、明治三十四年県社に昇格。
同四十年神饌幣帛料供進に指定せられ、大正四年農林大臣早速整爾鉄道大臣仙石 貢閣下等を始め中央地方の名士の寄進により石玉垣が建設された。

境内社
昭和二年には 東筑摩郡波田村地籍波多国有林十五町歩の縁故特売を以って社有地となるも 昭和二十二年農地改革により開放となる。

尚、波田村地籍鷺沢嶽に鎮座する奥社その付近一丁七段歩の山林は、当神社の御旧跡地として毎年例祭には、旧跡地より萱を刈取って仮殿を造り、萱穂・柳葉六十六本を六十余州になぞらえて邪神を鎮め平げ天下泰平を希ねがう神事が古式により行はれ今日に至っている

境内面積 貮千百九十坪 奥社面積 壱丁七段歩
(境内案内板より現代風に意訳・要約)

山の麓なのに何故『渚』?
安曇連の地であった松本~安曇野周辺には、地名や神社の由緒、そして伝承話やお祭など実に興味深くて謎に富んだものが多い。
また機会があったら、ゆっくり散策してみたいものである。

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