北アルプスの社 千鹿頭神社 二棟の社殿があるお社


林・大嵩崎側鳥居
今回は長野県松本市・千鹿頭山の頂に鎮座し、諏訪大社前宮の神事・御頭祭にて神饌する75頭の鹿を用意していたことで知られている諏訪市有賀の千鹿頭神社を分祀した松本市のお社。

御頭祭の詳細は⇒神長官守矢史料館のリンク

林側作成の全体図
松本の千鹿頭神社は、鉢伏山の北西に延びる支脈の千鹿頭山の頂上に鎮座し、本殿が二殿並んでいる。
元々は松本藩の領地で一社のみだったが、江戸時代に松本藩と諏訪藩の境界が千鹿頭山の尾根線に変更されたため、両藩で一殿づつ建立したという。

二殿並ぶ本殿
また本殿だけでなく、参道も松本藩の参道と諏訪藩の参道に分かれている。
松本藩の参道は写真の林・大嵩崎側鳥居で北から直線で通じており、諏訪藩の参道は神田側鳥居で、西から和合の池を経由して通じている。
ちなみに神田(諏訪藩)側の鳥居は朱色の鳥居と、これまた別々。

拝殿
奥左側が林側(松本藩)、手前右側が神田側(諏訪藩) 
本殿、参道、そして鳥居が二藩別々に分かれているのだから、境内の拝殿も・・・。

二棟建っていた(笑)

とはいえ、さすがに山頂だから二殿並べることができず、微妙に左右へずらしているようだ。
尚、写真奥左側が林側(松本藩)、手前右側が神田側(諏訪藩)の拝殿となる。
参拝したときは拝殿と幣殿もしくは神楽殿なのかな?と思っていたが、不自然な位置にずれている点と、林・大嵩崎側鳥居前の風化しかけた案内板等を読んで理解できました。

本殿
左側社が松本領林・大嵩崎の氏神
右側社が高島領神田の氏神 
千鹿頭神社
祭神 千鹿頭神 
合祀 林六郎公

千鹿頭神は諏訪の国津神の洩矢神の御子。
今も諏訪湖西岸の有賀地籍中腹に古き千鹿頭神社あり。
御神紋 梶の葉

高島領神田側の拝殿
略記
創立の年月は詳らかでないが、延暦年間、田村将軍利仁の副将軍藤原緒継と林の里長六郎公が相図り、『うらこ山』より現在の地に諏訪洩矢神の御子神・千鹿頭神を移し祀ったと伝えられている。
その後、林城主小笠原氏を始め歴代松本藩は、社殿の造営、御柱祭、例祭に際しては、金穀を寄進、また御柱を献木し、近郷の村々に神役を賦課するなど尊崇厚く、近郷住民の崇敬も深く、隆昌を極めた。

元和四年(1618)千鹿頭山の尾根を境として、その南側の松本領五千石が諏訪領になった。
その後、それまで一社であったが、藩境に林側と神田側の二社の社殿が並べて建てられることになった。

先の宮
林・大嵩崎側の現本殿は元文五年(1740)に松本藩主松平丹波守光雄公の寄進により建てられたものである。
明治四十一年、御符社祭神、林の里長六郎が合併祭祀された。

摂社略記
先の宮(まづのみや) 祭神 大己貴命(大国主命)
服神(はらがみ) 祭神 建御名方命 (昔鎮守神として尊崇した)
王子稲荷 祭神 蒼稲魂命 (林域より深志城へ、そして千鹿頭へ異祀された)
宿世結神 林六郎公の息女の『うらこ姫』と奉る
(松本領林・大嵩崎側鳥居前の案内板より)

服神?
本殿裏にひっそりと鎮座していたふたつの祠は、案内板でいうところの服神を祀る祠?
こちらも二座並んで鎮座している・・・。

御柱
御柱も左右で色や形が違うように見えるのは気のせい?
ちなみに例祭・御柱祭は林側と神田側一緒に同日開催されるらしい。

化粧池の小径
・・・これを書いているうちに、自分自身の頭が混乱してきました(笑)
また、御由緒に記載されている『うらこ山』や宿世結神についても興味深々。


次回は、松本市内に鎮座する式内社・沙田神社です。

Comments

Popular posts from this blog

信濃探訪 : 守矢史料館 一子相伝の古代諏訪口伝

沖縄久高島巡礼 徳仁川拝所と久高島の町並み

「今伊勢に坐する元伊勢」 酒見神社