日光三社巡り 神橋から本宮神社

日光三社巡り
1.神橋と本宮神社

日光といえば、徳川家康公を祀る日光東照宮。
しかし、日光の歴史は奈良時代の天応二年(782)に勝道上人によって男体山を御神体山とした二荒山神社を創建し、奉祀されたのが始まりという。

二荒山神社は本宮・新宮・滝尾の三社から成り、『日光三社』と称されており、東照宮周辺の賑やかな雰囲気とは異なった静寂した佇まいをしている。
この三社巡りはいわば日光散策の裏コース。
とても趣き深い参道や景色は、古の日光の姿がそのまま残されていて、とても心地良いですよ!

神橋
まずは、日光の玄関口に架かる神橋。この神橋は二荒山神社が管理している。
枕草子にも登場しており、由来からか山管橋と呼ばれていた。

神橋は奈良時代末、二荒山神社創建の為に神によって架けされたと伝えられ、別名「山菅の蛇橋」とも言われている。
天平神護2年(766年)この地に、勝道上人が二荒山で修行をするために訪れた時に、大谷川 の急流に行く手を阻まれてしまった。勝道上人は神仏に祈願したところ深沙大王が現れ、赤青二匹の蛇が絡み合い、その背に山管を生やして橋となり、勝道上人を対岸に渡したという伝説がある。
現在の形になったのは寛永11年(1634年)日光東照宮の大造替の際で、記録によればこの時に将軍・勅使・行者以外の往来を禁止したとされている。
因みに、現在は通行料を支払えば一般人も渡ることができる。

本宮神社 鳥居
神橋の脇に架かる橋を渡ると細い石階段の坂道があり、その坂を登りきった場所に、二荒山神社別宮で、日光発祥の地・本宮神社がひっそりと鎮座している。

現在は日光東照宮の西隣に日光二荒山神社が鎮座されているが、元々はこの地が本宮。
勝道上人が日光に神霊を求めて、延暦九年(790)に初めて小さな祠を建てたのが創始である。

拝殿
さて、二荒山神社は男体山(二荒山)、女峰山、太郎山の三山を御神山として崇められた山岳信仰のお社。
祭神である『二荒山大神』は、男体山の神(主神~大己貴命)を祀る「新宮」(日光二荒山神社)、女峰山の神(妃神~田心姫命)を祀る「瀧原宮」、太郎山の神(御子神~味耜高彦根命)を祀る「本宮」を総称したもの。
尚、本神社は日光市街に鎮座する『本社』、中禅寺湖畔に鎮座する『中宮』、そして男体山・女峰山・太郎山山頂に鎮座する『奥宮』の構成となっている。
(ちと、混乱してしまいそうだが・・・)

今回は御子神・味耜高彦根命を祀る太郎山を御神体とした本宮神社について。

楼門と本殿
本宮神社
古くは、新宮(現在の二荒山神社)、滝尾と共に、日光三社と呼ばれた。
創建は大同三年(808)。
祭神は味耜高彦根命で、現在は二荒山神社の別宮。

四月二十七日、二荒山神社の例祭・弥生祭のとき、新宮・滝尾・本宮三社の神輿が本宮神社の境内に集まり渡御する。
貞享元年(1684)の大火で焼失したが、翌年に再建された。
(境内案内板)
本殿
本殿の裏側に扉があるが、これは背後にある御神山に坐する神々を遥拝するために設けられている。(方角的に太郎山には向いていないように見受けられます。)
霊峰崇拝が色濃く残るお社である。

笈掛石
境内にある笈掛石。
由緒によると、二荒山の開祖・勝道上人が笈を立て掛けて休息したと伝えられる石らしい。
又は、修験者が背にしていた笈をかけて参拝するところから、「笈掛石」と名付けられたという。

四本龍寺三重塔
本宮神社の先に進み、さらに上り坂を登っていくと三重塔が建っていた。

四本龍寺三重塔
日光山二十四世座主弁覚が、将軍源頼朝の供養のために仁治二年(1241)に現・東照宮境内附近に建立。その後この地に移された。
貞享元年(1684)の大火で焼失、翌年再建されたのが現在の搭である。
最下層の蛙殿に十二支の彫刻があり、隣接の不動明王と石の護摩壇は日光修験の峰修行の遺跡である。
(境内案内板より)

四本龍寺観音堂
静寂とした歴史ある石畳の階段。
『日光発祥の地』というには物寂しい雰囲気があるが、これもまた好し。

次回は、とっても賑やかな日光二荒山神社 新宮です。

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