20 March 2013

サルタヒコの社 阿射加神社 (小阿坂)

Location 日本, 三重県松阪市小阿坂町120
阿射加神社(小阿坂)
(三重県松阪市小阿坂町120鎮座)


伊勢国には、明神大社が二社ある。
ひとつは伊勢国二宮~多度神社(多度大社)で、もう一社は阿射加神社が列せられている。

一の鳥居

阿射加神社は、近隣(大阿坂町と小阿坂町)に二社存在している。
鎮座地も1キロも離れていない距離にあり、御神山である阿坂山(現:桝形山)を守護するかのように南北に鎮座している。
また近くには伊勢街道が走っている交通の要衝であり、向山古墳や西山1号墳、筒野1号墳、錆山古墳などの前方後方墳のほか、前方後円墳の上野1号墳、大型円墳の深長古墳などもあり、伊勢の古代史を語るうえで重要な地域となっている。
・・・そう考えると、阿射加神社から数百メートル北にある向山古墳はサルタヒコの墳墓なのかな?と、妄想。

禁殺生の石碑
そして阿坂という地は、古事記において、本神社の御祭神である猿田彦命の神話の舞台地。

『天孫降臨の後、サルダヒコは伊勢国に戻ったが、阿邪詞(あざか)で魚をとっていて、ひらぶ貝に手を挟まれて溺れ死んでしまった。』

と、記されている。(かなり意訳ですが・・・)

溺れている時に猿田彦神の3つの御魂である底度久御魂(そこどくみたま)・都夫多都御魂(つぶたつみたま)・阿和佐久御魂(あわさくみたま)が化生して当社祭神の3座となったともされている。

境内
鳥居をくぐり境内に入ると、鬱蒼とした社叢、そして生した苔が印象的。
とても神秘的な佇まいに身震いを起こしてしまった。

二つの鳥居に挟まれた神橋。

阿射加神社の由緒は、垂仁天皇十八年、皇女倭姫命が天照大神の神霊を祭る地を探し求める途中、阿佐賀の地を訪ね荒ぶる神、伊豆速布留大神を大若子命をもちて鎮めさせ、阿佐賀山の嶺枡形地に社殿を造り、種々の幣物をもたらし祭ったのがこの神社と言われる。(神道書、倭姫世紀)

ちなみに、上記記述は、次回UP予定の大阿坂町の阿射加神社にあった案内板より抜粋したもの。
とはいえ、内容的には同様なのであろう。

二本の巨木に囲まれた先に社殿が鎮座している。

神門
阿射加神社は、平安時代初期には県内でも数少ない延喜式内大社格に列せられていた古社で、猿田彦命を祭る。現在、境内で毎年一月十四日に行われる御火試・粥試神事及び小阿坂のかんこ踊り、それに境内の社叢は松阪市文化財に指定されている。

賽銭箱の前に敷かれた茣蓙(ござ)

御火試は、月数を欠いた十二本の樫の木の割木の先を囲炉裏で焼き、月数を記した板にそれをこすりつけて、灰の色を観察しながら一年間の天候を占い、粥試は、稲の作柄の吉凶を占う神事である。
また、かんこ踊りは、以前は豊作の年の秋に踊られた収穫祭。
阿射加神社の社叢にはスダジイ・ヤマモガシなどの常緑照葉樹が繁茂しており、伊勢平野丘陵部のかつての自然を窺い知る貴重な植生である。
(松坂市教育委員会~案内板より抜粋)

神門をくぐると三棟の本殿。
猿田彦命から派生された三神の御魂が祀られている。
(底度久御魂・都夫多都御魂・阿和佐久御魂)

数多くの楠の巨木がお社を見守っている。
心が浄化される空間、実に心地良い。

神門から境内を見渡す。

摂社大若子神社

祭神大若子命は、倭姫命が天照大神の御杖代として、
阿佐賀の地を訪ねたとき荒ぶる神、
伊豆速布留大神を大若子命をもって鎮めさせた神さま。

写真左の堂には5~6対の狛犬が睨みを利かせている。
裏には『村宮三社』という石碑と石祠が点在していたので、
合祀されたものなのかな?と想像。

歴史を感じさせるお社。
境内の雰囲気も神的で実に素晴らしい。

このような地に巡り逢えてとても幸せでした。

次回は、大阿坂に坐する阿射加神社です。

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