伊勢國二宮 上げ馬神事の社 多度大社

多度大社
(三重県桑名市多度町多度1681鎮座)

多度大社は、木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川)下流の高台に坐し、明神大社・伊勢国二宮に列せられており、多度山(標高403メートル)を御神山としたお社。
多度山は、濃尾平野の西側を走る養老山地の南端にある山。
その麓に多度大社は鎮座している。

大鳥居
多度大社は、天照大御神の御子神 天津彦根命を御祭神とした本宮 多度神社と、天津彦根命の御子神・天目一箇命を御祭神とした別宮 一目連神社から成るお社。
創祀は不明だが、御神山である多度山には数多くの磐座や御神石があり、神代の古と推定され、五世紀後半、雄略天皇の御代に社殿が造営されたという。

社頭
参道の階段の左脇にある土の坂は、「上げ坂」と呼ばれ、多度祭りの上げ馬神事のときに、神馬が駆け上がる坂のこと。


上げ坂と御神馬・錦山号

実際に上げ坂を見ると勾配がキツく、頂の直下は土壁のように切り立っている。
以前はもっと長い坂路だったという。
御神馬が白馬なのは、「多度大社には1500年前から白馬が棲む」といわれていることかららしい。

摂社 新宮社
上げ坂を登ると、正面に摂社 新宮社が鎮座している。

摂社 新宮社
御祭神 天津彦根命幸魂、天目一箇命幸魂

多度大社は、元甕二年(1571年)織田信長の兵火に罹り、美濃國の赤坂山に避難されたは、その凡そ30年後、慶長年間に桑名城主本多忠勝公により復興が計られ御神体は先ずこの神殿にお鎮まりになった。
その日が十一月一日に当り、馬に野って還御されたという故事に因んで例祭(発向祭)には沓形(馬蹄形)の餅をお供えし祭典の後、古例餅まきを行う習わしがある。

緩やかな登り坂を越えて、境内の中を進む。
とても広々として、清々しい印象。

於葺門
於葺門と呼ばれる神門をくぐり、
多度山から流れる落葉川の清流で身の穢れを落していよいよ本宮へ。

多度神社
多度神社 天津彦根命
天照大神の第三の御子で神代の昔から御鎮座になり、雄略天皇の御代に神殿が創建せられた。
北伊勢地方の文化の発達、産業の興隆に力を尽され御子孫も広くこの地方にご繁栄になって、その総氏神として五穀の豊穣、漁獲の豊権に厚い御守護を加え給い、殊に雨乞いの神として遠近に信仰する人が多い。
御例祭は五月四日・五日の両日で古くより「上げ馬」「やぶさめ」等特殊神事が行われ、その年の作柄の豊凶を占うという意味にて特に民衆の熱心な信仰がある。

一目連神社
別宮 一目連神社
御祭神 天目一箇命
多度神社の御子神で御父 天津彦根命を扶けてきた伊勢地方を開拓せられ、又、わが国金属工業の祖神でもあり、天変地異ある毎に現に御霊を現して諸難を救い給い、時に応じて龍神となりて天翔り旱天に慈雨を恵給うと云う信仰もあって、古来神殿には御扉を設けない。

本宮近くにあった御神石と多度山から流れ落ちる滝

銅山などの精錬の際、片方の眼で炉の炎の加減を絶えずしかめる。長年にわたって炉の炎の具合を見つめていると、いつしか視力が弱って片目のつぶれることがよくあった。金属器がこの上なく貴重であった時代、それを作り出す技術の持主は神と崇められたが、一つ目であったことから天目一箇神が誕生した。
(谷川健一著「日本の神々」より) 
そのことから、金属興業の祖神としても崇められているのかな。

本宮から境内を眺める。
滝のけたたましい音、鬱蒼とした鎮守の森に手入れされ綺麗な社殿。
とても心地良いお社です。

末社 皇子社 (左) 摂社 美御前社 (右)

摂社美御前社の御祭神は、市杵嶋比賣命
末社皇子社の御祭神は、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命、天之菩卑能命、活津彦根命、熊野久須毘命、多紀理比賣命、多岐都比賣命。

つまり、記紀神話におけるアマテラスとスサノオの誓約の時に生まれた神々=多度神社の兄弟神を祀っている。

境内の雰囲気も素晴らしく、心安らぐお社でした。

次回は、日本武尊所縁の地です。

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