26 March 2013

日本武尊終焉の地 加佐登神社

Location 日本, 三重県鈴鹿市加佐登町2010
加佐登神社
(三重県鈴鹿市加佐登町2010鎮座)

加佐登神社が鎮座する鈴鹿市西部(能褒野)は、記紀神話にて日本武尊(倭建命)が薨去なされたとされる神話の地。
そのとき日本武尊が詠みあげた「思国歌(国偲びの歌)」と、それにまつわるお話は次回の白鳥塚古墳と能褒野王塚古墳の項で書くことにして、今回は白鳥塚古墳の近くに鎮座する加佐登神社について。

加佐登神社は、御笠殿社と呼ばれ、日本武尊の杖と笠を御神体とするお社。
高宮資料館前の駐車場にレンタカーを止めて、参拝することに。

参道
参道の階段から。
木漏れ日と神社独特のヒンヤリとした感じが何ともいえない。

境内
境内はとても開放的で、心落ち着く。
御朱印を頂こうとしたら宮司さんに色々と話かけられて、気分よく参拝することができた。

拝殿
加佐登神社由来記
祭神
日本武尊、天照大御神(他十四神 明治四十一年合祀)
由来
古事記・日本書紀によると、日本武尊は第十二代景行天皇の皇子でした。生まれつき武勇にすぐれた尊は若くして九州の熊襲、出雲を平定し、つづいて東国の蝦夷征伐へと旅立ちます。
尊は、各地で戦い勝利を続けましたが、伊吹山の戦いで傷つき病におかされ動かぬ身体を引きずってこの能褒野に辿り着き遙かに大和を望んで短い生涯を終えたと伝えられています。

拝殿内部
大和は国のまほろば たたなずく青垣 山こもれる大和しうるわし


本殿北の白鳥塚は、県下最大の古墳で(平成十七年の調査により、帆立貝式の前方後円墳であることがわかりました)、日本武尊の御陵とされ本居宣長・平田篤胤らによって延喜の諸陵式の能褒野墓と考えられました。
この白鳥塚のそばに、尊が死の間際までもっておられた笠と杖を御神体としてお祭りしたのが、加佐登神社の始まりです。明治以前は御笠殿社と称され、諸病平癒の霊験あらたかで、人々の篤い信仰を受けてきました。


本殿

大祭は、日本武尊の命日と伝わる四月八日。
古代、この地は景行天皇が行在所を置かれたことから高宮の里とも呼ばれ、附近には綺宮跡や、奉冠塚、奉装塚など多くの古い塚が残っており、神苑は県下有数のつつじの名所として知られています。
(以上、神社案内板より)


二体の日本武尊像

さすが日本武尊所縁の社。
木彫りと石像の二座が祀られていた。

社殿奥の祠

しっかりとした石垣が築かれており、かつてこの座に何か奉られていたのかな?

次回は、本神社奥にある白鳥塚古墳と能褒野王塚古墳、そして古事記の思国歌についてです。

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