皇大神宮(伊勢神宮 内宮) 宇治橋~正宮

皇大神宮 (伊勢神宮 内宮)
(伊勢市宇治館町1御鎮座)

宇治橋鳥居
いよいよ念願の「伊勢神宮 内宮」へ。

鳥居の先に見えるのは「神域」。
身も心も引き締まる。

宇治橋と島路山
宇治橋は、五十鈴川に架けられた橋で、神殿と同様に二十年に一度架け換えられる。
俗界と神域との架け橋。

第一鳥居
境内はとても広々としており、静か。
敷きつめられた玉砂利を踏みしめながら、ゆっくりと心を落ち着けて参道を歩む。

皇大神宮は、皇室の祖神でもある天照大御神を祀る神宮で、三種の神器のひとつである八咫鏡が御神体として奉安されている。
ちなみに三種の神器とは、八咫鏡・八尺瓊勾玉・天叢雲剣(「草薙剣」)のこと。

三種の神器については、 ⇒当ブログ 熱田神宮
を参照してください。

御手洗場
五十鈴川は神路山と島路山を水源とし、伊勢湾に流れる川。
別名「御裳濯川」と呼ばれ、倭姫命が御裳のすそのよごれを濯がれたことから名付けられたという。
ここで、参宮者は心身を清めるため、禊を行っていた。

瀧祭神
瀧祭神は五十鈴川守護の水の神。
古来から社殿のない石神としてまつられ、別宮に準じて祭典が奉仕される特殊な神。
清流五十鈴川を守護する水の神様として弥都波能売神を祭神としている。

神楽殿
皇大神宮は垂仁天皇二十六年の創設。
本宮について、記紀では以下のような記述がある。

「天孫降臨」
この二柱の(天照大御神の八咫鏡と思金神のこと?)は、さくくしろ、五十鈴の宮(内宮)に拜き(いつき)祭る。次に登由宇氣神(とゆうけのかみ) こは外宮の度相(わたらひ)に坐す神ぞ。

日本書紀では、崇神天皇の項にて、
「天照大神・倭大国魂の二神を、天皇の御陵の内にお祀りしたが、神の勢いを畏れ、共に住むには不安があった。そこで天照大神を豊鍬入姫命に託し、大和の笠縫邑に祀った。よって堅固な石の神籬を造った。」
とあり、その地は現在の大神神社摂社の檜原神社とされている。

内御厨
その後、各地を転々とし、垂仁天皇の御代に、
「天照大神を豊耜入姫命から離して、倭姫命に託された。倭姫命は大神を鎮座申し上げるところを探して、宇陀の笹幡に行った。さらに引き返して近江国に入り、美濃を巡って伊勢国に至った。
そのとき天照大神は、倭姫命に教えていわれた。
この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪帰する国なり。
傍国の可怜し国なり。この国に居らむと欲ふ。 
『伊勢国は常世国(海の向う)からの浪が打ち寄せる、
辺境だが美しい国である。この国に居りたいと思う』
そこで、大神のことばのままに、その祠を伊勢国に立てられた。そして斎宮を五十鈴川のほとりに立てた。これを磯宮という。天照大神が初めて天より降られたところである。」

とある。
御正殿前の石段
緑深き参道を歩むと、高台の先に御正殿が鎮座なされている。
神々しい風景に身震いをしてしまう。

御正殿
「神社」というと、見事な彫刻物で飾られた立派な社殿に、眩い朱色で彩られた神門等というお社が多いのに対し、伊勢の神宮の社殿(実際は御門までしか見ることはできないが)は、掘立柱に茅葺屋根という古代から続く素朴な造り。

そこには、神仏習合など世俗的な影響に惑わされていない日本古来からの様式を感じ取ることができるし、西洋・中東にはない日本古来の「木の文化」を強く意識することができると思う。

御正殿の御幌
参拝中、御幌(みとばり・・・正殿前の白い幕)が風に揺られて、フワっと舞い上がった。
月並みな言い方だが、神さまがまるで少し顔を出したかのよう。

御贄調舎
御正殿の向かいには、御贄調舎と呼ばれる切妻式の建屋がある。
内宮の祭典のとき、神饌の代表として、アワビを調理する儀式がなされるところという。

御贄調舎にある神座
御贄調舎の中にある外宮の祭神・豊受大御神が降臨される神座。
内宮の御祭神である天照大御神を見張っているかのように・・・というのは考えすぎかな?

五十鈴川
3月上旬の参宮だったので、神路山から五十鈴川伝いに伊勢湾へ吹き降ろす風が冷く、そのせいか、凛とした気持ちで参拝することができた。

つづく

次回リンク⇒皇大神宮 別宮 荒祭宮 風日折宮

御朱印

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