皇大神宮別宮 倭姫宮と倭姫命御陵、そして隠岡遺跡

皇大神宮別宮 倭姫宮
(伊勢市楠部町御鎮座)

月讀宮、月夜見宮に続いて、同じく皇大神宮(内宮)の別宮倭姫宮へ参拝。

御祭神の倭姫命は垂仁天皇の御代、天照大御神の御杖代として全国を転々とし、御神教をうけて五十鈴川の川上に皇大神宮を創建した皇女で斎宮の起源とされている。
なぜ、全国を転々としたかは・・・
当Blog 酒見神社 などをご参照ください。

参道
御幸道路から倉田山方面に向かい、緑深き参道を進む。
趣き深い石段を踏みしめて登っていくと社殿が鎮座している。

存在感を感じる神明造の社殿

日本書紀の垂仁天皇紀にて、伊勢の神宮についての詳細な記述がある。


「天照大神を豊耜入姫命から離して、倭姫命に託された。倭姫命は大神を鎮座申し上げるところを探して、宇陀の笹幡に行った。さらに引き返して近江国に入り、美濃を巡って伊勢国に至った。
そのとき天照大神は、倭姫命に教えていわれた。
この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪帰する国なり。
傍国の可怜し国なり。この国に居らむと欲ふ。 
『伊勢国は常世国(海の向う)からの浪が打ち寄せる、
辺境だが美しい国である。この国に居りたいと思う』
そこで、大神のことばのままに、その祠を伊勢国に立てられた。そして斎宮を五十鈴川のほとりに立てた。これを磯宮という。天照大神が初めて天より降られたところである。」

詳細は、当Blog 皇大神宮(内宮) 宇治橋~正宮 を参照下さい。


倭姫命は、第十一代垂仁天皇の皇女で、第十代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の後を継いで「御杖代」として皇大御神に奉仕され、天照大御神の御神体である八咫鏡を戴いて大和国をお発ちになり、伊賀・近江・美濃等の諸国を経て伊勢の国に入られて、御神慮によって現在の地によって皇大神宮を御創建されました。

「御杖代」とは皇大御神の御杖となって、御神慮を体して仕えられるお方のことで、倭姫命から後、代々の天皇は未婚の皇女を伊勢に遣わして皇大御神に奉祀させられましたが、このお方を斎王と申し上げます。

倭姫命は皇大神宮御鎮座ののち、神嘗祭をはじめとする年中の祭を定め、神田並びに各種のご料品を奉る神領を選定し、禰宜、大物忌以下の奉仕者の職掌を定め、斎戒や祓の法を示し、神宮所属の宮社を定められるなど、神宮の祭祀と経営の規模を確立されました。
(参拝のしおりより)

祓所
尚、倭姫命は日本武尊の東征の際にも登場し、三種の神器のひとつである草薙剣と火打石が入った袋を日本武尊に渡した。
詳細は、当Blog 焼津神社を参照を。

ちなみに当宮の創建は、大正十一年と新しく、宇治山田町の住民運動がきっかけとなって創建されたという。

御朱印
倭姫命御陵
さてさて、折角だったので、倭姫宮の周辺を散策してみた。
まずは、倭姫命御陵とされている「尾上御陵」へ。

尾上御陵
尾上御陵は倭姫命が埋葬された古墳といわれ、倭姫宮創建後の昭和三年に倭姫命御陵墓参考地に指定され、宮内庁が現在管理している。

隠岡遺跡
 続いて、倭町にある隠岡遺跡。
町を見下ろす高台にある古墳で、出土品などから弥生時代の邑跡と平安時代の建築物の遺跡(外宮禰宜・度会一族の居住地)があると考えられている。

神宮徴古館
こちらも倭姫宮の近くにある神宮徴古館で、「神宮」とは似つかない西洋宮殿のような建物。
少々違和感を感じます・・・。

勢田川から皇大神宮方面を眺める
次回は、感動の瀧原宮です☆

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