阿武隈の巨石 石都々古和気神社

石都々古和気神社
(福島県石川郡石川町下泉269鎮座)

参道と一の鳥居
国道118号線(石川街道)は茨城県水戸市から福島県須賀川市を走る国道で、久慈川や阿武隈川水系の支流のひとつ今出川沿いを縫うように走っている。

この街道沿いにはかつて東北熊野信仰の中心地で陸奥国一宮都々古別神社が鎮座しており、地勢的に重要な街道だったように感じるが、その街道の中心に当たる石川町にも延喜式内社に比定されているお社がある。

二の鳥居
石川町八幡山に鎮座する石都々古和気神社は延喜式内社とされている古社。

御祭神は味鉏高彦根命、大国主命、誉田別命の三神。
鎮座地である八幡山に三芦城を築城した石川有光が、治歴二年(1066年)に源氏の氏神である京都石清水八幡宮の御分霊(大国主命、誉田別命)を石都々古和気神社に合祀したとのこと。

磐境
(震災により鳥居は倒壊)
一の鳥居~二の鳥居をくぐり、石段を踏みしめて登っていく。
磐境にはかつて石鳥居があったが、先の震災により倒壊してしまった模様。

左:石門  右:亀石
石門の先には奇形な石、巨石が数多くあり、それぞれに名を冠してあるが、前号の破石を見た後の参拝だったので、あまりピンと来なかったのが正直なところ。


左:屏風岩  右:船形岩

『約1万年以上前から山岳信仰の場として山そのもの、また参道両側に点在する磐境(巨石)が信仰の対象として、古代の人々に崇敬されていたと思われるが、それらを裏付ける文献は残されていない』
と、石川町資源調査調書には記されているが、真偽はいかに。

参道
石都々古和気神社由緒
御祭神
味鉏高彦根命、大国主命、誉田別命
石都々古和気神社は延喜式内社のひとつに数えられている古社で、古くから山岳信仰の聖地として多くの方々に信仰崇敬されてきた。
又、全国的にも数少ない祭祀遺跡の跡地として、考古学的にも大変重要な遺跡と言われている。

拝殿
約一万年前から信仰されており、多くの磐境が山々に点在し、屏風岩、船形岩、亀石、天狗石、石門(鳥居)、更には三種の神器と言われる剣(剣石)、玉(勾玉岩)、鏡岩等がある。
古代、この地において多くの土着民が集まり、自然崇拝や太占、探湯等の神事が行われ、一年間の吉凶や物事の神意を占ったとされる。

本殿
京都の住人・福田安芸寺守源有光が永承六年(1051年)奥州の安倍一族討伐の軍に加わり(前九年の役)多大な功績を挙げ、その後、朝廷の命により、八幡太郎源義家の代官となり、この地を賜った。

そして康平六年(1063年)この地に移り、名も石川有光となり、更に治暦二年(1066年)京都石清水八幡宮の御分霊(大国主命・誉田別命)をいただき、当石都々古和気神社に合祀した。

この神域は中世の山城(石川城・通称山芦城)としても遺跡に指定され、空堀、狼煙台、見張台、本丸跡、土塁等がある。
(以上、境内案内板より)

左より、神葬祭祖霊社、多賀神社、諏訪神社、
背後に剣石

社殿脇には境内末社が鎮座されている。

左:剣石  右:鏡岩

三種の神器といわれる剣・鏡・勾玉を現した巨岩もある。

ちなみに、ここ石川町は天然ウランの採掘場があり、太平洋戦争中には旧日本軍による原子爆弾の開発拠点があったらしい。

境内
参道はとても整備されていて坂道でしたが、とても歩きやすかったでした。
また、町の中央を流れる今出川沿いの桜もとてもキレイでした。

次回は、石都々古和気神社の境外摂社とされている(真の)巨石の社です♪

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