阿武隈の社 白河神社 白河関跡と奥の細道

白河神社
(福島県白河市大字旗宿字関の森120鎮座)

阿武隈川
阿武隈川は、福島県と栃木県の県境である那須岳周辺を水源として福島中通りを縦貫し、宮城県亘理郡の河口まで流れている阿武隈川は、東北地方第二の長さを誇る河川です。

この流域はかつての蝦夷とヤマト王権とが対峙する境だったらしく、数多くの古社が坐しており、蝦夷の原始信仰の名残である巨石(磐座)といった遺構も多く残されており、古代ロマンを強く感じさせてくれる地でもあります。

今回の旅では、白河関のお社から阿武隈川河口付近まで巡ってみました。

今回は、蝦夷との境である白河関跡に鎮座する白河神社について。

白河関は、奥州三関のひとつであり、下野と陸奥との国境の関。

松尾芭蕉の『奥の細道』の舞台にもなっており、
『心許なき日かず重るまゝに、白川の関にかゝりて旅心定りぬ・・・』
と、詠まれている。

空堀跡
白河関が置かれた年代については不明だが、発掘調査による出土品や住居跡等、そして歴史的背景からみて、大化の改新以後の7~8世紀頃には存在していたものと考えられている。

写真の空堀は、敵の侵入を防ぐため、曲輪に沿って掘られた防御施設のこと。

古歌碑
さらに境内には、古歌碑の石碑があり、古の歌人の詠んだ和歌が刻まれている。

古歌碑(平兼盛、能因法師、梶原景季)
平兼盛(不明~990年)
『便りあらば いかで都へ告げやらむ 今日白河の関は越えぬと』
三十六歌仙の一人。平兼盛が奥州に下り歌枕の白河関を越えた感激を都の知人にどうやって知らせようかと詠んでいる。

能因法師(988年~不明)
『都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞふく白河の関』
風狂数奇の歌人、能因法師が奥州に旅した際、白河関で詠んだ歌。

梶原景季
『秋風に 草木の露をはらわせて 君が越ゆれば関守もなし』
源頼朝が文治五年(1189年)、奥州平泉の藤原氏を攻める途上、側近の梶原景季が白河関の社殿で詠んだもの。

境内
さて緑深き参道を登っていくと、多くの巨木に囲まれた境内が姿を現す。

境内奥には「従二位の杉」と呼ばれる樹高47メートル、目通り幹囲 6.1メートル、推定樹齢は伝承800年にも及ぶ大杉が聳え立っていたらしいが、残念ながら拝見することができませんでした。

本神社の御祭神は、白河国造命(鹽伊乃己自直命)、天太玉命、中筒男命、衣通姫命。
周囲を山に囲まれた地にもかかわらず、『海』に所縁のある神々が祀られているのは何故なのだろう?

拝殿
白河神社
祭神:白河国造命(鹽伊乃己自直命)、天太玉命、中筒男命、衣通姫命
境内社:八雲神社・稲荷神社・国津神社・大山祇神社

本殿
第十三代成務天皇五年(135年)白河国造命と天太玉命を奉祀し、勅命により鎮座、のち白河の関設置に当り、関所南北に住吉、玉津島明神を祀る。

延暦十年(792年)、永承七年(1053年)平兼盛、源頼義・義家等が稲田を奉献し、寿永三年(1184年)三月九日源義経、文治五年(1198年)源頼朝等が金幣を奉献、元和元年(1615年)伊達正宗公社殿を改築奉納(本殿の棟紋に九曜星、縦三引きの紋あり)、享和元年(1801年)に白河城主松平定信公が神庫を奉納。

奥の細道曽良日記にも記された二所の関明神として、現在国技である大相撲二所の関部屋の発祥地、八月に二所の関古式相撲が嵐祭りとして奉納される。
白河の関を境内とし、境内は文化庁により国指定史跡「白河関跡」に指定された。
(境内案内板より)

末社群

平安時代の治承四年(1180年)は、源義経が兄・頼朝の挙兵を知り鎌倉に向かう道中に詣で、境内の松に矢を立て勝利を祈願したと伝わり、祈願をした「矢立の松」が、戦時中に戦地に向かう出征兵が枯片を「玉除け」として持ち帰ってしまい、小さな根元のみの姿となって残っているのみらしい。

また、地震の影響か一部の石碑などが残念ながら倒壊していた。

左:境内に聳え立つ杉の巨木  右:鳥居脇に絡まる曼の木

緑深い地にあり、古代~近世の歴史のロマンを強く感じさせてくれるお社でした。
次回は白河周辺に坐する陸奥国一宮です♪


御朱印

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