2 July 2013

阿武隈の社 別格官幣社 靈山神社と例祭奉幣祭

Location 日本, 福島県伊達市霊山町大石
靈山神社
(福島県伊達市霊山町大石字古屋舘1鎮座)

桜が美しい参道
靈山神社は明治十四年(1881年)創立の社で、北畠親房卿、北畠顕家卿、北畠顕信卿、北畠守親卿をを祭神として祀る別格官幣社。

別格官幣社とは、国家に功績を挙げた忠臣を祭神として祀る神社など、官幣社でも国幣社でもない官社のことで、日光東照宮や靖国神社などが主な社である。


本神社の参道は境内西側から伸びているが、私は南側から伸びる徒歩参道を使って参拝してみることにした。霊山の麓に坐する社だけあって、勾配が急・・・。

しかし、美しい木々に囲まれた正参道は神社名とは裏腹にとても心地良かった。

正参道
境内手前の最後の急坂。
陽光に照らされた竹林が何とも言えない程美しい。

ちなみに、小説等で有名な「姿三四郎」は本神社神職であった西郷頼母の養子西郷四郎がモデルとされており、境内で柔術を教授していたらしい。

神門
急坂を登りきると多くの人々で賑わっていた。
参拝日はまたまた春季例祭。どうりで駐車車両が多かったわけだ。

靈山神社 (別格官幣社)
御祭神(主神)
大納言 北畠親房卿
陸奥大介・鎮守府大将軍 北畠顕家卿
陸奥介・鎮守府将軍 北畠顕信卿
陸奥国司 北畠守親卿

由緒
後醍醐天皇の行わらせた回天の御鴻業、建武の中興に大きな御功績を示された北畠四卿は、陸奥・霊山に神厳に鎮座されている。

北畠親房卿は混迷を深めていた武家による政道を正さんとして常に後醍醐天皇の傍らにあられ、大納言として補翼の赤誠を尽くされた。その政治思想は『神皇正統記』、『職原抄』、『梅風論』等の御著書に明らかである。

賑やかな境内
北畠顕家卿は親房卿の第一子、御幼少より文武両道に秀でられた大才であられた。陸奥大介・鎮守府大将軍として義良親王(後の後村上天皇)を奉じて霊山に国府を置き、東奥鎮撫の大任を完遂すべく各地を転戦されたが、延元三年(1338年)阿倍野の合戦で足利軍の高師直に敗れ、21歳という若さで薨ぜられた。

薨去の七日前に後醍醐天皇に奉られた政に関する七か条の上奏文は、今なお心ある政治家の崇敬を集めている。
北畠顕信卿は親房卿の第二子、北畠守親卿は顕信卿の第二子。

春季例祭 下大石獅子舞
元来、北畠御一門は身分の高い家柄であり武邊(軍事・武道)に関わっていなかった。
しかし、顕家卿が陸奥守鎮守府将軍(後に陸奥大介・鎮守府大将軍)として建武の中興に直接参与されたことを契機として国史の上に大きな位置を占められるようになった。

「こころざし 深く降り積もる 雪なれど とふべき人のなきぞ悲しき」

終戦後、五十八星霜も閲しながら、今なお自虐史観から脱却し得ず、国体の真姿を回復できないわが国の現状を、御祭神・北畠御一門はどのように見そなわしておられようか。

境内神社
福日稲荷神社、祖霊社
(以上、参拝の栞より)

社殿
少年達による太鼓の音に合わせ太刀を天空にかざして進むという『濫觴武楽奉納』を見ることはできなかったのが少々残念だが、祭りに立ち会えて本当に幸運。
但し、願わくば静かな境内をじっくり拝してみたかったでした。


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