阿武隈の社 「ヤマト」の最前線 鹿島天足和気神社と要石

鹿島天足和気神社
(宮城県亘理郡亘理町逢隈鹿島字宮前97鎮座)

鹿島天足和気神社周辺
宮城県亘理町は阿武隈川の河口南側に位置しているのどかな町。

しかし、かつてはヤマト王権による『東夷』最前線基地であり、天津神の武神である武甕槌神(タケミカヅチ)を主祭神として祀る鹿嶋社が多く鎮座されており、小さな町にもかかわらず四座もの社が延喜式内社に比定されている。

その中で鹿島天足和気神社は、鹿島緒名太神社、鹿島伊豆比氣神社とともに「亘理鹿島三社」と呼ばれている社。

鹿島社の総本宮、鹿島神宮については以下リンクを参照ください。
常陸国一宮 鹿島神宮

参道脇の桜と鳥居
現在は三門山の麓、亘理公園の傍に鎮座しているが、元々は三門山頂に坐していたという。
参拝時期は四月下旬。
鳥居前の桜は満開で実に美しかったです。

石段より境内を眺める
鹿島天足和気神社の祭神は武甕槌神で、「亘理鹿島三社」の中でも総社的位置付けされた社。
鹿島伊都乃比氣神社の祭神は稜威雄走神であることから、十拳剣=布都御魂。
即ち、香取神宮の祭神・経津主命で斎主神。
鹿嶋緒名太神社の祭神猿田彦命は国津神で岐神。

ということは、鹿島国に築いていた蝦夷討伐のヤマト王権の前線基地を福島浜通りを経由して亘理に遷し、その後、阿武隈川流域の前線を突破してさらに北上し、宮城県牡鹿半島~松島周辺に新たな前線基地を築いていったのであろう。

拝殿
現に、宮城県黒川郡富谷町には本神社とほぼ同名である鹿島天足別神社という式内社が坐しているし、宮城県石巻市には鹿島御児神社という式内社もある。
当Blog⇒ 鹿島天足別神社、と傾いた亀石
当Blog⇒ 鹿島御児神社(石巻日和山)

本殿
鹿島天足和氣神社(かしまあまたらしわけじんじゃ)

祭神
左殿 稜威雄走神(鹿嶋伊都乃比氣神社)
中央 武甕槌神(鹿嶋天足和氣神社)
右殿 猿田彦命(鹿嶋緒名太神社)

神輿庫(旧拝殿)
由緒
景行四十一年(111年)辛亥八月六日、三門山頂に日本武尊の勧請と伝える。
延暦元年(782年)五月、征夷に神験があったので勲五等二戸加封された。
貞観四年(862年)六月十五日官社「鹿島宮」となり、従四位上を賜った。
天慶四年(941年)北鹿島樫木山頂に再興した。

神輿庫前に奉られていた荒脛
天文年間(1552年ごろ)十六代両種亘理兵庫守元宗公より神領寄附あった。
古来、神領地は神宮寺村と鹿島村であったが、天正の乱で廃絶した。
貞亨三年(1686年)現在地に伊達実氏(亘理邑主五代)再再興した。
明治五年(1872年)郷社に列し、明治八年(1875年)北海道伊達に伊達邦成公鹿島国足神社を分祀した。
明治十一年(1908年)現社殿建築する。
明治四十四年(1911年)神饌幣帛供進社に指定。
(以上、境内案内板より)

鹿島緒名太神社、鹿島伊豆比氣神社
社殿の右側には鹿島緒名太神社、鹿島伊豆比氣神社の祠が祀られている。北鹿島地区に鎮座する八雲神社の本殿南側には、三門山に祀られていた当時の鹿島神社の石祠が鎮座しているという。


要石
石祠の手前に奉られている石は要石。
要石といえば、鹿島神宮と香取神宮の要石ですね。

以下のリンクをご参照ください。
鹿島神宮 要石
香取神宮 要石

狛犬
東北の狛犬は一本の角があるようで、とてもユーモラス。
ちなみに先日、国立博物館で開催されていた大神社展の図録によると、角が生えているのが『狛犬』で生えていないのは『獅子』だそうです・・・。

境内はこじんまりとしながらも、とても落ち着く雰囲気。
とても心地良い参拝でした。

次回は、鹿島緒名太神社です。

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