阿武隈の社 安福河伯神社 阿武隈の神を祀った蝦夷の社

安福河伯神社
(宮城県亘理郡亘理町逢隈田沢字堰下220鎮座)


石鳥居
白河からはじまったこの旅もいよいよ最終章。
今回は阿武隈川河口付近に坐する安福河伯神社についてです。

石段の参道
本神社は阿武隈川南岸の小高い丘(水上山)に坐している社だが、もともとは阿武隈川の畔に鎮座していたという。創建は景行天皇41年(西暦111年)8月6日、日本尊命の勧請とされ、延喜式内社に比定されている。

拝殿
速秋津比売神を主祭神としているようだが、境内にあった案内板では「阿武隈川の川の神(河伯)を祭神として祀る」とされている。
一般に速秋津比売神は別名水戸神(みなとのかみ)と称され、港の神の意味であるが、古代の港は河口に作られるものであったので、水戸神は河口の神でもあるという。

本殿
谷川健一著の「日本の神々」にて本神社について以下のように記されている。
『陸奥国一百座の式内社の中には、侵略神であることが歴然とした武神があり、また開拓者が故郷から持ち運んだ神がある。蝦夷などもとから住んでいた住民が信奉した神がある。
たとえば亘理郡の安福麻河伯神社は阿武隈川の川の神を祀ったにちがいない。
河伯とは水神または河神のことである。』

由緒
この神社は、阿武隈川の川の神(河伯)を祭神として祀る、「延喜式神名帳」(十世紀)にものっている由緒ある神社である。
この地は、古来阿武隈川下流の治水用水、朝廷の北辺の守りとして重要な場所だったのだろう。そのため、この地にこの神社が祀られたと思われる。

社名は、「貞観紀」(862年)には阿福麻神社、「封内風土記」(1769年)には阿武隈明神社、「安永の風土記書上」(1799年)には、阿武隈神社、以前掲げてあった鳥居の扁額には、「阿武隈大明神」とあるが、みな同一社である。

古来近郷の人々に崇敬され、旧藩時代には邑主亘理伊達家によって手厚く保護されていたという。また、明治から昭和二十年までは郷社であった。
この神社は、もと亘理町逢隈田沢字宮原の阿武隈川に鎮座していたが、のち(年代不明)現在地の水上山(三掴山)の丘の上に遷宮された。

現在の本殿は、流造りで安政五年(1858年)八月で、拝殿・幣殿はそのあとである。
石段の登り口にある鳥居は花崗岩で、様式は明神造りである。
(亘理町教育委員会)

周囲には田園そして里山が広がっている。

次回はコンセイ様でも。

Comments

  1. 亘理町の神社をお参りいただきありがとうございます( ´∀`)

    思うところがありwikipediaには書きませんでしたが、ここの安福河伯神社は、111年(景行天皇41年)に、日本武尊の水軍と陸軍が、神社の近くの「稲葉の渡し」付近で合流し、景行天皇の命により庶民の幸福と水陸の交通安全の神として祀られたんだそうです。

     なので、水神の速秋津比売神を主祭神にして、道祖神の猿田彦神、武神の経津主神、農耕の大年神が祀られているんだそうです。ちなみに元々の神社名は「阿福麻河伯神社」と呼ばれていたようです。

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    Replies
    1. コメントありがとうございました!
      亘理の本神社だけでなく、白石周辺にも日本武尊関連の社が多く、独特の「白鳥伝説」もあり興味深く思っております。
      また、角田周辺の磐座にも興味深々で、周辺を再訪してみたいと思っております☆

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