紀州熊野の奇石群 橋杭岩と蟲喰岩(虫喰岩)

海金剛
南紀には心をくすぐられるような奇石・巨石群が実に多い。
上の写真は大島鷹ノ巣岬の海金剛という名勝。
熊野灘の荒々しさを感じることができる岩礁です。

そして、大島対岸の串本町にも海金剛に勝るとも劣らない奇石群があります。

橋杭岩
橋杭岩
橋杭岩は、串本から大島方向へ一直線に伸びる大小40余りの奇石群。
自然に対して畏怖の念を感じずにはいられません。

橋杭岩の形成について、案内板から要約してみると、次の通り。

『1400万年前の大峰山脈や那智から熊野にいたる地域で火成活動により、地下の断層目にそってマグマが上昇して石英斑岩という火成岩からできた厚い板状の岩脈が形成され、その後、波の浸食や地震などによって、現在の形となったようである。』

また、橋杭岩には多くの民話が残っています。

<橋杭岩の伝説>
その昔弘法大師が紀州行脚の際、この地に立ち寄り向かいの大島へ渡るため天邪鬼に手伝わせて橋を架け始めたが、天邪鬼がくたびれて鶏の鳴声をまねたので大師も夜が明けたと思って中止し、その橋杭だけが残ったといわれている。
(案内板より)

案内板だとかなり要約されているので、追記してみると・・・

昔、弘法大師が、天の邪鬼と一緒に熊野を旅し、串本を通りがかったときのこと。
天の邪鬼は大師を困らせてやろうと、「島の住民のために、ここから一晩のうちに島に橋をかける競争をして、島の人たちを助けてあげましょう。」と、案を講じた。

弘法大師堂

弘法大師は賛成して、日没後作業にとりかかり、岩を海に並べ始めて完成間近になった。
出来る訳がないと思っていた天邪鬼は慌ててニワトリのマネをして「コケコッコー」と大声で叫んだ。
大師は朝になったと思い、もう一息のところで作業を止めてしまったとさ。

おしまい

背後にはおおしま大橋
橋杭岩から歩いて数分程の場所に弘法大師堂があり、そこから見る橋杭岩は絶景!
潮風も感じることができ、観光客も殆ど訪れないのでお薦めです♪

高池蟲喰岩
そして古座にある虫喰岩へ。
国道42号線(熊野街道)から古座川方面に北上して池野山という集落にある。

高さ60メートルにも及ぶ一枚岩。
その名の通り、蟲が喰ったかように無数の穴が岩肌に空いています。

蟲喰岩
この岩も、橋杭岩同様に今から1400万年の火成活動によって地下内部から隆起してこの地に現れた石英粗面岩(熊野酸性岩)であるという。
その後、長い年月をかけて石英粗面岩の巨岩が風雨に浸食されて、その壁面が無数の大小の穴が蜂の巣のようにできて現在の形になったのか、火山ガスが抜けた跡なのかは定かではないようです。

観音様を祀っていた洞窟
岩の中には広さ1.5畳程度の洞窟があり、中には行者が祀った祠があり、観音様が祀られていました。(現在は、安全な場所に新しい祠を建てて安置している。)

それにしても、とても不思議な岩の造景。
無数の穴はまるで根の国(鼠の国)の入口かのよう・・・と考えてしまうのは中上健次の影響からか。

そして地面に目を遣ると、長い年月の間、岩の雫が滴り落ちて窪みが出来た石が。
雫の影響からか、窪みが出来た石は黒光りしていた。

ここ古座川周辺は、社殿を持たないアミニズム信仰の社が多く、木や森全体を御神体とした神戸神社や祓の宮等が鎮座しているという。
今回は残念ながら参拝することは叶わなかったが、再訪する機会があれば、事前に調べて他の奇石(一枚岩、牡丹岩等)と共に拝したい、と強く感じました。

次回は火の神を産んでイザナミが亡くなったとされる地です。

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