熊野三山の根源 神倉神社 ゴトビキ岩と篠笛の調べ

神倉神社(ゴトビキ岩)
(和歌山県新宮市神倉1-13-8鎮座)

太鼓橋
結論から先に書くと、私にとって熊野三山の中で最も心に響いた地は、
ここ神倉山のゴトビキ岩であった。
太平洋を一望できる崖の上に坐す三体の巨石は、
正に神が降臨する磐座そのものであり、
今思い出しても身震いがする程の神的空間であった。

朱鳥居
・・・といきなり興奮してしまいましたが、それ程心に深く刻まれた磐座~ゴトビキ岩について。

神倉山を水源とする市田川に架かる太鼓橋を渡った先には、門前神として祀られた猿田彦神社と神倉三宝荒神社の祠があり、その奥には小さな滝が流れている。
祠を左に進むと鮮やかな朱鳥居があり、その先には建久四年(1193年)に源頼朝が寄進したと伝えられる538段もの石段が待ち構えている。

源頼朝御寄進の鎌倉式石段
写真では伝わりづらいが、石段はかなりの急こう配。
登山を少々嗜む小生でさえ、登り始めはかなりビビっておりました・・・。

本神社の例大祭「御燈祭り神事」にて、白装束に身を固めた祈願者が神火を松明にうけてこの急坂を馳下るのだから凄い。『海の漢』ならではの勇壮な神事です。
(このお祭り、一度は見物してみたいです)

さて神倉神社は、巨岩ゴトビキ岩を御神体とした熊野速玉大社の摂社であり『元宮』。
千穂が峯(鎮護ヶ峰)の南端、神倉山(権現山)上にある。
熊野三神がこの磐座に降臨したことから「熊野根本神蔵権現」とも称された『熊野信仰の原点』とされる霊所である。

日本書紀にて、神倉神社について以下のような記述がある。

神武天皇一行は戌午年(紀元前三年)六月に狭野(佐野)を越えて紀伊の名草邑に着き、名草戸畔(なくさとべ)という紀伊の女王を誅された。
そして、熊野の神邑に至り、天磐盾に登り、更に海を渡るとき暴風雨に遭い、船は波に翻弄されて進まなくなってしまった・・・。」

熊野の神邑に到着して登った『天磐盾』こそが本神社の御神体である『ゴトビキ岩』。

詳細は以下リンク参照ください
楯ヶ崎と阿古師神社 伊勢・熊野大神が対峙する神話の地

参道
紀伊半島を南北に連なる熊野川の河口にあり、海上交通の重要拠点でもあった新宮だからこそ、神武天皇はこの地に上陸し、先住民の魂の依り処であったゴトビキ岩(天磐盾)に登って征服(支配)を宣言したのではないか?と、妄想。
(そして熊野の民にとっては、神の依り代たるゴトビキ岩の上に神武天皇が立ったことはとても屈辱的な行為であったと思う)

とにかく、新宮に住まう民のみならず、熊野灘を航行する人々にとって、ランドマークでもあったゴトビキ岩は古代より信仰対象とされていたのであろう。

さてさて、急こう配の石段を登りきれば、石畳の道はなだらかな傾斜となる。
石段を登りきると、朱色に塗られた瑞垣があり、その中を進むと巨岩が悠然と坐していた。

ゴトビキ岩
熊野三所権現が最初に降臨した磐座、ゴトビキ岩。
現代に続く「熊野信仰」の原点ともいえる三体の磐座。
その圧倒的な存在感にただただ茫然・・・。

半ば放心状態で巨岩を眺めていると、ジョンレノン風の丸サングラスをかけ、直立して手を合わせていた方に
「岩の方へ上がってみるといいですよー。」
と、お声を掛けて頂いた。

早速岩へ向かって登ってみると、熊野三神を表すかのような巨岩三体がデンと坐していた。
地面には白石が置かれ、一本の小さな榊の枝が祀られていた。

鳥肌が立つ程に幽玄な世界。
まるで根の国、隠国への入口のような佇まい。

その幽玄な雰囲気に感動して、思わず涙がこぼれてしまった。

ゴトビキ岩と神倉神社
ゴトビキ岩の直下には高倉下命、天照大神を御祭神とした神倉神社の社殿が鎮座している。
此処から新宮の町並みが一望でき、その先の熊野灘もよく見ることができる。

神倉神社
御祭神 高倉下命、天照大神

例祭 二月六日 夜
御灯祭りと言う古儀の特殊神事として名高い。白装束に身を固めた祈願者が神火を松明にうけて急坂(源頼朝公御寄進の鎌倉式石段)を馳下る壮観な火祭りである。
御由緒
熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地、熊野権現信仰の根本とも申すべき霊所である。
御祭神高倉下命は、建国の功臣、熊野三党(宇井、鈴木、榎本)の祖として知られ、農業、漁業の守護神として御神徳が高い。

さて、先ほど話かけてくださった方としばらくの間談笑。
那智から小口を経由して熊野本宮大社まで歩いて詣でる話をしたら、小口の知り合いの方に連絡して頂いたり、熊野についてのお話を聞かせて頂いたり、とても気さくな方。

すると、気をよくして頂いたのか・・・
「あなた方によいものを聞かせて差し上げましょう」
と言いながら袋の中から一本の篠笛を取り出し、なんと私たちのために演奏して頂いた。

ゴトビキ岩を前に美しい笛の調べ。
またも、涙ぐみそうになる。

お礼を述べると、その方は新宮市内に鎮座する古社・阿須賀神社の某宮司さん。
本当に色々とありがとうございました。バンドうまくいくとよいですね。
ちなみにここの写真が少ないのは、宮司さんとの会話が長くて撮る暇がなかったからでした(笑)

ゴトビキ岩から速玉大社方面を眺める。
磐座周囲はなだらかな石が敷かれており、かつての祭祀場だったとされ、弥生時代の出土物もあったという。

古代より続く磐座信仰の聖地であり、熊野信仰の根本といえる霊所、ゴトビキ岩。
他にも色々書きたかったが、今回はこの辺で。

次回は熊野那智大社です。

Comments

Popular posts from this blog

信濃探訪 : 守矢史料館 一子相伝の古代諏訪口伝

沖縄久高島巡礼 徳仁川拝所と久高島の町並み

「今伊勢に坐する元伊勢」 酒見神社