関東の古社 阿豆佐味天神社 (武蔵国)

阿豆佐味天神社
(東京都西多摩郡瑞穂町殿ケ谷1008鎮座)

鳥居
ここ数年、遠方の社巡りに熱中してしまい、近隣のお社巡りを疎か気味になっておりました・・・。
ということで、武蔵国周辺を再び巡ってみたいと思います。

社殿
東京都瑞穂町は狭山丘陵の西端に位置している町で、多摩地区交通の要衝。
東西には青梅街道が走り、南北には古くより東山道武蔵道~鎌倉街道、そして日光まで繋がっている千人同心街道が走っているとされ、東西南北の街道が交差するクロスロード。

今回参拝した阿豆佐味天神社は青梅街道沿いに鎮座し、延喜式神名帳に多摩郡八座のうちの一座に列せられている古社。
青梅街道から一本に伸びた参道から一段高い丘に坐している。

本殿
阿豆佐味天神社
御祭神 少彦名命 素戔鳴命 大己貴命

阿豆佐味天神社は延喜式神名帳の多摩地区八座のうちの一座に列している社。
社伝によると、寛平4年(892年)に人皇第50代桓武天皇の曽孫である常陸大嫁上総介高望王(平の姓を賜う、武家平氏の始祖)の創建とされている。
本神社の『アヅサミ』の起源は不明だが、一説には「阿豆」は味で弥の形容詞で甘いの意であり、「佐」は味の接頭語、「味」は弥で水の意味とされ、古代に狭山丘陵から流れる湧水・甘い水を祀ったものとされており、かつては味佐弥神社であったのではと考えられている。

境内社

湧水を祀る自然崇拝が起源であったが、時代を経るに従って武蔵国へ進出してきた出雲系の豪族や一門が自分たちの神である現祭神の少彦名命を祀ったり、奈良地方の一族が天孫族の祖神・アマツカミを合祀しアマツカミのヤシロ(天神社)としたり、だんだんと形を整えて現在の「阿豆佐味天神社」の原型が作られたものと推定されている。

御神木
鎌倉時代に入ってからは武州村山郷の総鎮守社として拝められ武蔵七党の勇・村山党の武士団よりも厚く尊崇され、村山党の本拠地は当社より西へしばらく行ったところにあり、発祥地の居館跡が今に伝承され「殿ケ谷」の地名の起源という。
その後、天正十二年、慶長三年の修復を経て、享保年間(1716-36)当地方の豪族村山土佐守により、社殿の修復が行われた。北条氏、徳川氏の崇敬も篤く多くの神領地が寄進されたという。

社地裏手にある六道山や箱根ヶ崎周辺には古代遺跡があり、旧石器時代から縄文時代にかけての石器や石斧、土器などが数多く出土されている。
また、裏山には奥宮もあるようだ。

武蔵國の古社を考えようとすると、東山道武蔵道の存在、出雲族・渡来人(高麗、百済など)の東国移住、そして武蔵七党などを考察する必要があるのだが、私は学者でないので説明しきれません・・・。

巨大な蜂の巣・・・
尚、拝殿中央には大きな蜂の巣があるので、御参拝の際にはご注意を・・・。
次回も武蔵野台地に坐するお社です。

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